湖底幻想
イナエ
陽光も届かない湖底には
二十世紀を抱えたまま山里が沈み
とある一軒家には歳経た鯉が住み
いろりを囲んで小魚たちに昔話を聞かせる
山峡の淵に潜んでいた竜は
湖底に散らばっている屋敷を見て回り
狭くなっていく本宅に換えて
昔娶った人間の妻と住む別荘を物色する
湖底に沈んでにおいを失った木の芽の棘に
傷ついたサンショウウオは
良い薬はないかと漆の溜まった井戸を覗く
カワウソは旧交を求めて
人間に裏切られて淵の奥深く潜んだまま
未だ姿を見せないカッパを探して
次第に苔の剥がれていく無縁塚を
彷徨っている
鮒は昨日屋敷を取り巻く赤芽樫の生け垣に
生み付けた卵を
何者かが食っていった痕を見つけた
食物連鎖の争いの予感は
骨の奥深く潜んでいた恐怖の記憶を
鱗の隙間から浸みだして
墨汁のように漂い広がり
夜密かに無縁塚から流れ出す人間の幻に
捕らえられ
魚たちは
眠るときも見開いたままの眼に涙を浮かべる
「岩礁146号」から(過去作)