神と物語
黒髪

人間は生きる期限を区切られている。区切りの中に自由もある。だから、期限に対する不満の駆動力を
期限によって区切られた自由に持っているということが、私という人間への不満になり、
物語を作る。
物語は、未来への不安と、過去への不満を解消する目的にしたがって作られるのではないか。
物語の中でつながっているということは、他者を存在させるための最上の形であると思う。
物語は各個人の中において作られる。そのためのお手本は、あまた存在するのだ。
物語の破壊は、思想の破壊であろう。いかに幼稚な思想であろうと、それはひとつの形をなす。
だから、その形が壊される時、時間が壊される。壊された時間は、恨みを作る原因となる。
時間を取り戻すことができないが、それは過去であるという態度で望んだ場合、再生の
物語へと入っていっているということになる。
作られたものは神の手のもとである、という限定を付けることで、ある種の対立の解消
が可能になる。最も強い神は、最も強い力を持つ。自由を持った人間は、
神というものを自らの上に持つことで、神の絶対化と、自らの正当化を同時に得る。
結局人間の自由とは、人間のものでしか無いという限定を持つものだ。
世界が存在する賑やかな物語を、現代の人間は望んでいるだろう。理想と自由の子である
現代人は、神のもとから生まれ、そこから巣立つべき時に来ているのではないか。
壊された物語を嘆くのではなく、残されたものの中で、創造力を働かせる力を向けるべきなのではないか。
それが、平和という現実に対する最も高い理想をなすことに必要なのだと思う。


散文(批評随筆小説等) 神と物語 Copyright 黒髪 2014-09-26 20:55:51
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