虫の定義
佐々宝砂
虫とはなんぞやという定義からはじめたら
いくら秋の夜が長くても朝が来てしまう
かといって
わたしもあなたも虫のようなものである
地球からみたらダニがたかっているようなもんだ
と知ったふうなことを言ってみれば
隣の和室の障子でチャタテムシが騒ぐ
小豆研ごうか人とって食おかなどとはいわないが
あるいは古代中国では虎まで虫扱いしたんだぜ
と書棚の李徴が怒り出しそうなことをつぶやけば
荒れ果てたわたしの庭でアオマツムシが鳴く
以前はあんなもんいなかったのにいつのまにか住み着いた
あやつらとわたしは間違いなくちがうイキモノだよ
とホモ・サピエンスらしい意地を張って焼酎を含めば
キーンと虫歯に沁みたりする
秋の夜の歯に沁み通る酒はイタイねえ
ぜんぜん白玉の歯じゃあないからだね
だいたい虫歯の虫ってなんだよ
ミュータンス菌って虫なのか
そういえば水虫も田虫も虫なわけだが
つまり白癬菌も虫なのか
かつて白癬菌の巣窟であった足指が痒い気がして
ぼりぼりぼりと掻きむしる美しからざる秋の女は
薄汚れた壁を這ってゆくアシダカグモに目をとめる
アシダカグモは昆虫ではない
昆虫ではないが疑いなく虫である
ミュータンス菌や白癬菌よりはずっと虫である
虫度が高いとでもいおうか
そして見た目とは裏腹に
アシダカグモはきわめて清潔な生物である
彼らの主食は雑菌にまみれているが
アシダカグモの消化液はそれら雑菌を抹殺できる
自らの脚も消化液で清潔にする
そして清潔も不潔もどうでもよくなるほどに
彼らの眼は美しい
引き出しの中で忘れ去られたビーズのように美しい
ああそうだ
すべて美しい眼を持つものは虫なのだ
青空がひとつの美しい眼を持ち
夜空が無数の美しい眼を持つならば
空もまたひとつの虫なのだ
この身もまた美しい眼を持つ虫でありたい
などとがらにもなく嘆息すれば
机のうえにひょんと飛んできたハエトリグモの
丸く磨かれたジェットのような四つのまなこ