山人

「あなたは神を信じますか」
ふいに声をかけられ、振り向くと、若い美しい女が立っていた。
 鈴木俊介は保険会社に勤務し、主に災害や火災に適応した商品を担当していた。昨今の地震や水害に対応するべく画期的な保険商品を手がけていたが、なかなか広い顧客を獲得できずにいた。
少々嫌気も差し、退職も視野に入れており、気持ちは後ろ向きだった。まして、妻の不貞があり、すでに離婚が成立し、一人暮らしが一年ほど続いていたのだ。
「はい?あなたみたいな綺麗な人が神なら信じるけど?」
思いっきり意地悪く、皮肉るように鈴木は女を見た。
女は柔和な笑いを浮かべ、言った。
「私は佐伯と申します、ここに次回の会合の日が書いてあります、是非お越しください」
少しソバージュがかった髪型は今風なのか良く知らない、しかし、その肉感的な後姿は十分すぎるほど俊介にはまぶしく見えた。

名刺には--清新会---と書かれ、事務局:佐伯孝子と記されていた。煩雑な無形の商品を売り込む日常に心身ともに疲れていた俊介は、そこに行くことをすでに決めていた。
 一週間後の金曜日、隣接する街の市民センターの中広間が会場であった。明るいロビーで、色んな催し物があるようだ。和服姿だけの集団や、若い世代、俊介のようなサラリーマン風の風体は僅少であった。
 この間の佐伯孝子という美しい女は居るのだろうか?すでに清新会という組織の内容などどうでも良く、彼女の存在だけが心を占めていた。
観音開きの広間に入ると、小さなテーブルが置かれてあり、佐伯孝子とは違う女が受付をしていた。
「お忙しいところ御苦労様です、ここに署名をしていただきたいのですが」
孝子とは似ても似つかない、えらの張ったごつい感じの女だった。事務的で愛想などかけらもないといった感じであった。
 ホールにはそこそこの人数が居た、二十人くらいであろうか、おそらくからかい半分がほとんどであろう、そう俊介は思っていた。
先ほど受付をしていた女は白石と言う名前で、神の定義や精神世界のことをぐだぐだと話し始めた。十分ほど白石の話があり、このあと神様による講義があるという。
白石が壇上から見えなくなるとホール内の参加者から落胆の吐息が漏れた。
サンダル履きでベトナムズボン、シャツも作業着の薄手のものをだらしなくズボンの上に下ろしている。眼鏡をかけ、年の割には多い白髪交じりの髪を掻き分け、ぺたぺたと壇上に上がった。
無精髭もだらしなく生えており、とても神と呼べる高尚さは微塵もない。
「皆さん、こんばんは。今ほど紹介にあずかりました、私が、神、です」
失笑が渦となり、ホールに響いた。
「なぜ、失笑するのか、私はとても悲しんでいます」
神と呼ばれる人物、年齢的には六十代後半であろうか、よく見れば痩せ型でシャープさも備えている、それなりの硬い外殻を保ち、言葉も強くはないが説得力のある味わいがある。
「神とは実体の無いもの、そう考えるのが普通です、従って本気で信じると言うことをしないのです、そして巧くいかなかったら神なんてろくなやつじゃない、弱いものの見方なんてしてくれないのが神様で、神様なんていうのは都合のいい適当なやつなんだ、そう考えては居ませんか?」
 自分は虚像ではない、実体のある神なのだ、神とは本来かたちのあるものなのだ・・・。そういった内容を語っていた。最初の落胆から徐々にボルテージを上げ、次第にうねるような感動を与えるその語りは、まるで計算されているかのようなステージであった。
 俊介も営業でさまざまな勧誘の語りを行うが、顧客がのった!、と思われる瞬間があるのを知っていた。まさに清新会の「神」もそのノウハウを知り尽くしていたテクニックであった。
 「神」の主な「仕事」は、そういった全体講義と、個々への個人相談などを行うというものだ。個人相談は一人一時間五千円の料金が必要だったが、「神」一人が稼ぎ出す収入としては足りないほどであろう。俊介は財布を弄り持ち金を確認すると、早速本日の予約状況の空きを確認した。この後いくつか個人面談があり、その後午後九時には空くのだと言う。
帰っても誰も待っているわけではない。早速申し込んだ。
 面談の時間まで二時間あった。どこかで夕食を摂ることにした。美味い不味いは問わない、人気の少ない店を選んだ。
 昔ながらのメニューサンプルが飾られた古き良き時代の食堂があった。若い女の決められた台詞を無表情にしゃべるファーストフード店のような味気ない店に入るのは耐えがたかった。
 暖簾をくぐると、ハイいらっしゃい・・と、静かな面持ちの中年の女が応対に出た。ほかに馴染みの客と思われる客が二人ほど居たが、店主と話をしたりと、一杯飲み屋代わりに利用している客のようだった。
野菜炒め定食が食いたかったが、ガスコンロの大きさを見てやめた。あの大きさではさしたる火力もなく、べたべたな野菜煮みたいなものになるであろうと予想されたからである。
月並みだったがチャーシュー麺を注文した。

 俊介と沙希は四年前に入籍していた。馴染みの自動車部品製造会社に保険業務で出入りしていた当時、受付事務をしていた沙希とで出合ったのである。かなり男好きのする風貌で、わずか六ヶ月の付き合いで結婚した。性格は温厚で、料理もまずまずだった。ただ、普通ではない彼女特有の思考があり愕然としたものである。
 結婚して数ヶ月した頃、友達の家に泊まりに行ってくると言う。いろいろ聴いているうちにどうやら男友達のようで、それも独身で一人暮らしなのだという。俊介が怒ると、何怒ってるの?と聴く。とりあえずその時は納得させたが、後にも何度か実際に外泊をしたことがあり、不貞の証拠はないものの協議離婚が成立したのである。
 沙希は、あなたを愛していた・・と言う。不貞行為がもしあったとしても、それそのものは法律違反ではないのだが、裁判でも優位に立つ。裁判沙汰になったとしても沙希には不利となり、沙希には出て行ってもらった。沙希自体、かなり辛かったようだが、そういう無神経に俊介のほうが大きなダメージが有った。
 そういう厭な生活だけが思い出となって残っているだけで、夫婦での楽しかった思い出はまるで残っていない。今後結婚する気持ちはかなり失せていた。
 冷凍しておいた冷凍焼け臭いチャーシューを数枚食い、ラーメンも半分も残した。食堂の不味さを無言で訴えたかった。
 食堂でかなり待たせられ、時間はたちまち過ぎていった。

「次の方、どうぞ・・・」
ドア越しではあるが、しっかりとした口調で、「神」は俊介を迎え入れた。
「なにか、お悩みでも・・・」
そういうと、「神」は古臭い大学ノートを取り出して、かなり速いスピードで何かを書き始めた。文字ではなく、専門的な速記文字なのであろうか。まったく俊介には理解できない字体であった。
「悩みと言いますか・・・まぁ・・」
そういうと、俊介は今の独り身の寂しさや離婚原因、会社での仕事上での鬱積などなど、巧妙に「神」によって誘導尋問されたかのごとくすらすらと語り始めていた。
「・・といった感じです」
そう締めくくると、大きく息を吐き出した。
「・・・」
「神」は俊介の話が終わった後も一心不乱に速記していた。
「なるほど、するとあなたは御自分にはまったく非がないとおっしゃるわけですね」
「まぁ、会社については私の不徳とする部分もあるでしょう、ただ、妻の不貞に関しては私には落ち度はない・・はずです」
「神」は次第に目つきが鋭くなっていた、まるで俊介を悪者を裁くかのような目でにらみつけた。「神」は立ち上がり、吐息を吐き、再び冷静な口調になり話し始めた。
「鈴木さん、あなた、佐伯孝子さんという方をご存知ですかな?」
「ご存知も何も、街で話しかけたのが佐伯さんなのですよ、今日は見えていませんでしたね」
「ええ、今日は家に居るのです、私の家にね」
「えっ!?」
俊介は愕然とし、「神」の顔を覗き込んだ。
「何も変な関係じゃないでしょう、娘なんですから」
宗教団体の教祖と娘が居て、娘は会員を勧誘、教祖は講義を行う。そう考えればひとつも不思議なことではない。
「可愛い娘ですが、不憫な子でしてね・・・」
そういうと、再び腰を上げた「神」は街の夜景を眺めながらとつとつと語り始めた。
--娘・・いえ、孝子でしたね。孝子はとても面白い考えを持った子でした。年頃になっても、どこか中世的で男の子に対しても臆面も見せず話しておりましたし、男の子のトモダチも多かったんです。言ってみればドライな関係とでも言いますか、ただ、貞操観念は親の私が言うのもなんですが確りしておりました。中学生や高校生になってもそんな感じでしたから、まったく違和感はなかったんですよ。
 娘は高校を出ると親の反対を押し切ってすぐ働きたいと言うんです。大学も出ていないので、たかだか町工場の事務員くらいが関の山ですが、それでも張り合いがあると張り切っていました。
 そのうち、恋人が出来たらしく、私も逢ってみたのですが、なかなかの好青年でしてね。すぐ仲良くなって家族ぐるみの付き合いが始まり、とんとん拍子で結婚が決まったんです。
 余談になりますが、娘は文学少女でして、子供の頃からたくさん本を読み、自分でも詩やエッセイ・小説なんかをいろんな所に投稿したり、応募したりしていたようなんです。男女問わず友達に恵まれたのは、そういう文学好き仲間だったみたいだったんですね。ですから結婚してからも詩の朗読会の男女混合企画に出演するとかで独身男性の家に行ったりしていた様なんです。そこまで羽目を外すような娘ではないと思い、きつく問いただすと、どうも旦那と巧くいっていないというのです。
 旦那の携帯には毎日色んな女からメールが来たり、風俗店に入り浸りだったり、はては月一のソープランドは欠かさなかったようで。
まぁ、親の私がこんなこと言うのは大変辛いことなんですが、その、夫婦の繋がりらしき事は新婚当時数ヶ月だけだったと言っておりました。娘は夫に問い詰めると、愛しているのはお前だけだ、他は全部カラダだけの関係でしかないんだから安心しろ、と、一方的に言うだけなのだと。
さすがに娘も行き詰っており、何とかこちらに心が向いてくれないものかと思いついたのが、詩の朗読会の男女参加だったようなんです。
 孝子はいつも言っていました。夫は私を裏切っても、私は夫は裏切れない・・でも、何とかこっちを振り向かせたい・・そういつも言っておりました。
 娘は夫の裏切りと、一方的な不貞をののしられ、うつ状態に一時なっていました。娘のおもいは、真実をせめて解ってほしい・・それだけでした。そのために今までの自分の持っていた物をすべて捨てる覚悟がある、そう言うのです。
 何を捨てたと思います?顔と名前ですよ。解りますか鈴木さん。私は「神」、ですが、本名は岡田です。岡田沙希と言う女性をご存じないですか?佐伯孝子は岡田沙希であり、後に鈴木沙希にまでなったのです。顔ですか、整形ですよ、『神』岡田実はかつてあなたの義理の父だった。
 鈴木俊介さん、あなたは今後『神』によって裁かれるのです--
俊介の腋から冷たい汗が落下していた。


散文(批評随筆小説等)Copyright 山人 2014-09-09 17:09:41
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