笛吹き少年の行くえ(6)
Giton

加筆の時期については、ここで詳しい考証を論じる余裕はないのですが、1930年以後の早い時期と、私は推定しています。何字か判読不能童話「ひかりの素足」「水仙月の四日」、文語詩「訓導」など。とくに、前2作は、「この峡の岩鼻」にあたる遭難場所の目印も共通します。
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   【6】 笛吹き少年の伝説


   下書稿(一)手入れ(2)〔A〕

 若き母や織りけん麻もて
 全身紺によそほひ
 藁沓に雪軋らしめ
 町に出で行く少年あり

 青きそらのひかり下を
 小鳥ら、ちりのごとくなきて過ぎたり。
 青きそらのひかりに
 梢さゝぐるくるみの木あり

 そのとき
 雪の蝉
 また鳴けり
 くるみのえだには
 かぼそき蔓


前回は、文語詩「雪峡」の成り立ちについて、〔A〕,〔B〕という、もともと無関係だった2つの断片を合体させて作られたことをお話しました。
上に掲げた〔A〕断片のほうは、1921-22年ころ、つまり文語短歌から童話と口語詩に移るまぎわの時期に制作された『冬のスケッチ』の一部に、加筆されたものなのでした*1。いわば、《文語短歌時代》の終りから、《口語詩時代》を一気に跳び越えて、晩年の《文語詩時代》に持ち込まれたことになります。

ただ、前回も言ったように、この〔A〕は、内容的にいかにも断片的で、いったいこの「少年」が、これからどうなるのか尻切れトンボです。これだけで一個の作品とするには足らないうらみがあります。

そこで、次に、〔B〕断片のほうを見たいと思います:


   下書稿(二)〔B〕

 雲が燃す白金環と
 白金黒のいはやをば
 日天子いま
 みだれて奔りいでたまふなり


まず、制作時期ですが、用いられている用紙(24行黄罫詩稿用紙)から言って1930年ころ以後、したがって晩年の《文語詩時代》と思われます。
内容的に、当初は〔A〕断片とまったく無関係に書かれたものと思ってよいでしょう。すでに「いはや[イワヤ]」が出ており、雲から太陽が現れる「白金環と/白金黒」の気象現象を、天岩戸伝説になぞらえて描いたものと思われます。

ただ、


「日天子いま
 みだれて奔りいでたまふなり」


という表現があり、すでに最初の段階から、太陽の出現のしかたに、怪異を読み取ろうとするモチーフが厳然としています。
最初から、記紀のおおらかな神話とは異質のものが目指されていたと言えます。

この〔B〕断片に対して、まずは、次のように加筆がなされます:


   下書稿(二)手入れ〔B〕

 ほこ杉たちて雪埋む
 この山峡の奥ひより神楽にはかにうち湧けば
 雲が燃す白金環と
 白金黒のいはやをば
 日天子いま
 みだれて奔りいでたまふなり


「ほこ杉」と雪に埋められた「山峡」が加わり、ここで「神楽」がはじめて現れます。
杉は『冬のスケッチ』にもありましたが、この「ほこ杉」のモチーフは、必ずしも『冬のスケッチ』から持って来たものではないようです。むしろ、場所は特定できないものの、杉→鎮守の森→神楽という連想が考えられます。それが「山峡の奥ひ[オクイ]」であるというのは、早池峰神楽からの連想でしょうか‥

ともかく、神楽の起源→天岩戸伝説という結びつきでは、必ずしもないということです。

むしろ、最初に天岩戸伝説をなぞった「日天子」出現のモチーフが書かれ(下書稿(二))、その「みだれて奔りいで」るという・おどろおどろしい登場のしかたの伏線として、山峡の奥から突然(にはかに)響く「神楽」が、前のほうに追加されたように思われるのです。

いずれにせよ、ここまででは、この〔B〕が、どうして、積雪を踏んで町へ出かける少年を描いた〔A〕断片とつながるのか、私たちには予想できません。。。


そこで、〔A〕と〔B〕が合体する「下書稿(三)」へ進みます:


   下書稿(三) 〔A〕+〔B〕

    口 碑

 若き母織りし麻もて
 身ぬちみな紺によそほひ
 藁沓に雪軋らしめ
 児は町に出で行きにけり

 青ぞらのひかりの下を
 ちりのごと小鳥啼きすぎ
 雪の蝉またぎと鳴きて
 くるみみな枝をさゝげぬ

 ほこ杉を雪埋みたる
 山峡のその奥ひより
 雲が燃す白金環と
 白金黒のいはやを
 白天子乱れ奔りて
 児のすがたすでになかりき

 〔…〕*2この峡の岩鼻にして
 よもすがら雪をうがちて
 村人ら児をもとめしに
 その児の頬かすかにわらひ
 唇は笛吹くに似き


第1・2連が〔A〕、第3連が〔B〕、それぞれ多少縮約して嵌め込まれています。縮約のためか、「神楽」も、いったん削られています。
そして、第4連は、〔A〕のストーリーの続きが、新たに書き下ろされています。

「口碑」という題名が付いていますが、口碑こうひとは、口伝えに伝えられた伝説のこと:

「【口碑】言い伝え、伝説、口承。碑は、永久にほろびない意。」(新字源)

ここでは、町にでかけた少年が、雪の中で遭難して、死体となって発見されたという言い伝えのようです。
じっさいに、もとになる言い伝えが岩手県にあったのか、それとも宮沢賢治の創作なのかは分かりませんが、賢治はこのモチーフを繰り返し作品化しています。*3

しかし、よく分からないのは、第3連の書かれた意味です。少年の遭難伝説というだけならば、1・2・4連だけで十分なのに、なぜ、〔B〕断片による3連が挿入されているのか?

しかも、雲間から太陽(ここでは「白天子」‥「日天子」の誤字?)が登場するやいなや、「児のすがたすでになかりき」と言うのです。まるで、少年は、「日天子」に襲われて命を落としたかのようです。。。

その謎は、次の推敲段階で、ある程度は解決するのですが‥
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*1 加筆の時期については、ここで詳しい考証を論じる余裕はないのですが、1930年以後の早い時期と、私は推定しています。
*2 何字か判読不能
*3 童話「ひかりの素足」「水仙月の四日」、文語詩「訓導」など。とくに、前2作は、「この峡の岩鼻」にあたる遭難場所の目印も共通します。



散文(批評随筆小説等) 笛吹き少年の行くえ(6) Copyright Giton 2014-09-08 04:35:02
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宮沢賢治詩の分析と鑑賞