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【4】 白金環と白金黒
雪 峡
*1
塵のごと小鳥なきすぎ
ほこ杉の
峡の奥より
あやしくも鳴るやみ神楽
いみじくも鳴るやみ神楽
たゞ深し天の青原
雲が燃す白金環と
白金の黒の
窟を
日天子
奔せ出でたまふ
第2連の「白金環」と「白金黒」というミヤケン用語(笑)について、かんたんに説明しておきたいと思います。
まず、「
白金環」ですが、これは“光環”という大気現象と思われます↓
http://blog.crooz.jp/svc/userFrontArticle/ShowFiles/?no=215&blog_id=14963971&file_str=14963971215031cba01c54dfacd8f0880241d35c7bf09c25f57.jpg&guid=on&vga_flg=0&y=2014&m=01&d=09&wid=380&hei=334
雨の上がったあとなどに、太陽の周りにまるく虹の輪が見える現象です。薄い雲や、水滴を含んだ大気を透して太陽を見ているためで、この場合は、かなりはっきりと丸い虹が見えます。↑これは、東京都奥多摩町の鷹巣山頂で撮影したもの。
「日輪雲に没し給へば
雲はたしかに白金環だ。
松の実とその松の枝は
黒くってはっきりしてゐる。
雲がとければ日は水銀
天盤も砕けてゆれる
どうして、どうしておまへは泣くか
緑の針が波だつのに。
横雲が来れば雲は灼ける、
あいつは何といふ馬鹿だ。
横雲が行げば日は光燿
郡役所の屋根も近い。
(あゝ修羅のなかをたゆたひ
また青々とかなしむ。)」
↑これは、口語詩「〔松の針はいま白光に溶ける〕」の一部。1922年頃の制作かと思われますが、『心象スケッチ 春と修羅』の代表作品「春と修羅」の異稿とされる
*2ものです。
薄い雲の向こうに太陽が没すると、“光環”──「白金環」が現れます。ふたたび太陽が雲から出てきて、にぶく「水銀色」に光っています。こうして、太陽の前を「横雲」が通過するたびに、同じ変化が繰り返されます。
なお、この詩自体の内容には、いまは深入りしないでおきたいと思います。
“光環”と似た大気現象は、ほかにも、“日暈(にちうん,ひがさ)”“幻日環”などがありますが、これらは、“光環”ほどはっきりした虹色には見えません。大きな白い環に見えます。故事成語の「白虹、日をつらぬく」
*3は、“幻日環”のことと思われます↓
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=215
↓こちらの賢治詩の「白金環」は、“日暈”と思われます。
「……どうだ雲が地平線にすれすれで
そこに一条 白金環さへできてゐる」
*4
これは、1924年3月24日、教え子の寄宿生を江刺郡米里の実家に送りがてら、五輪峠越えの山旅をした際の作品のひとつ。「五輪峠」では、みぞれまじりの空だったのが、麓に下りて来るあいだに雲が上がって、地平線近くに晴れ間が見えてきたようすです。
次に「白金黒(はっきんこく)」ですが、‥上の「雪峡」のテキストでは「白金の黒」となっていますが、「の」は推敲過程で挿入されたもの。
「白金黒」は、じつは化学用語で、多孔質の金属白金の粉末。各種化学反応の触媒として使われます。
白金は、光沢のある白色の貴金属ですが、まったく同じ成分なのに「白金黒」は真っ黒なのです↓
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=155
「雲はけふも白金と白金黒
そのまばゆい明暗のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
(雲の讃歌と日の軋り)」
*5
つまり、「白金黒」の比喩で表現されているのは、まばゆい空に浮かぶ真っ黒い雲、あるいは、黒と白に彩られた雲の明暗の翳ということになります。
そうすると、「雪峡」の第2連:
雲が燃す白金環と
白金の黒の窟を
日天子奔せ出でたまふ
は、すべて、空の上の現象。窟(イワヤ)は、地上の山の中の洞窟などではなく、黒雲の中に太陽が隠れたようすを言っています。どろどろどろ‥と、あやしい神楽の太鼓の音が響いてきそうな「日天子」の登場場面ではあります。。。
やはり、この文語詩は、天岩戸伝説に題材を借りながらも、‥神話に描かれたようなおおらかな──世界を暗黒にして隠れた太陽神が、宴会のがやがや騒がしい声が気になって出て来てしまうと言うんですから、おおらかとしか言いようがありません──場面、あるいは“一陽来復”のような心暖かい現象ではなくして、もっと恐ろしい、忌むべき(タブーなので語れない)ことがらを、象徴しているように思えてなりません。
それは、宮中祭祀としての「み神楽」、その音を伴奏として、暴力的に──あるいは滑稽に見えるほど乱雑に──「奔せ出で」登場する「日天子」と関係があるのでしょう‥
さて、そうすると、この文語詩は、「下書稿(一)」から順に見て行くことによって、はじめて理解されるものなのではないか──と思われてくるのです。(一)から(四)までの“推敲”の過程で、何かが隠されてしまったのです。。。
そういえば、天澤退二郎氏は、賢治の文語詩について、次のように述べていました:
「賢治の文語詩の生成過程──短縮とみえ凝縮とみえたその作業のひそかな本意は、こうして か く す こと、地下に地下構造を、
地下礼拝堂をつくることにあったのではないか。」
*6
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