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【3】 あやしくも鳴るやみ神楽
雪 峡
*1
塵のごと小鳥なきすぎ
ほこ杉の
峡の奥より
あやしくも鳴るやみ神楽
いみじくも鳴るやみ神楽
たゞ深し天の青原
雲が燃す白金環と
白金の黒の
窟*2を
日天子
奔せ出でたまふ
この「雪峡」は、『文語詩稿五十篇』にも『文語詩稿一百篇』にも収録
*3されていない未定稿作品ですが、(了)印による第一段階の“推敲完了”を経ています。
くわしく言いますと、この作品には「下書稿(一)」から「下書稿(四)」までの4枚の草稿があって、それぞれが何段かの手入れを加えられています。推敲の過程をたどって突き合せれば、時間的順序を確定することができ、この(一)〜(四)の順であることが判明しています。そして、↑上に挙げたのは「下書稿(四)手入れ(2)」であり、最終形テキストとして、『新校本全集』の本文に採用されているものです。
しかし、(了)印は、「下書稿(三)」の手入れ形に対して付けられています。
つまり、この最終形は、第一段階の完成稿に対して、さらに手が加えられた途中のすがた──もし作者が病死しなければ、さらに手が加えられていたはずのもの──と言えるのでしょう。
そのように考えれば、↑このテキストを、最終的な定稿であるかのように絶対視することはできない、と私たちは思わなくてはなりません。。。
第1連で、矛のように突き立った杉林の峡谷の奥から聞こえてくる
神楽の音が「あやしくも鳴る」「いみじくも鳴る」と表現されます。
そして、第2連では、この神楽の音を背景に、雲のうしろに隠れていた太陽(日天子)が、あわてて走るように出てくるさまが描かれます。
ところで、第1連、3,4行目は、「やみ神楽」なのか?「鳴るや み神楽」なのか?
音数のリズムから考えると:
あやしくも 鳴るや み神楽
いみじくも 鳴るや み神楽
と切って読むのが正しいようです。
しかし、 森氏が笑い話として書いているのですが
*4、この詩を読んで「岩手県には闇神楽というものがあるのか?」と、まじめに問い合わせる人が多いそうです(笑)。じっさい、「‥鳴る やみ神楽」と読みたくなるくらい、この詩の神楽は、いかにも恐ろしげで、おどろおどろしいイメージを与えるのです。
しかも、「みかぐら」と読んで安心していることはできません。
じつは、「御神楽(みかぐら)」とは、宮中(皇居)の賢所で舞われる神楽のことで、1947年までは、皇室祭祀令(1908年)に定められていたそうです。「御神楽」に対して、宮中以外の神楽は「里神楽(さとかぐら)」と言います。
そこで、岩手県の神楽について少し調べてみると、修験者の伝える山伏神楽が圧倒的に多いようです:
「岩手県内で最も数が多いのが山伏神楽です。特に早池峰山を霊場とする山伏が伝承した早池峰系神楽は、花巻市を中心に40団体以上にものぼります。」
「岳、大償の両神楽は、総称して『早池峰神楽』と呼ばれています。」「岳の早池峰神社に文禄4(1595)年の記録がある獅子頭が残されており、大償の別当へ伝えられたという神楽伝授書の控えの巻物には、長亨2(1488)年の銘があることから、この時代には、すでに神楽が伝承されていたことがわかります。」
「山伏神楽の特徴としては、獅子頭自体に神の力が載り、堂々と現れるものと考え、権現様と呼び、奉じます。以前は、神楽の集団が旦那場を回り、門ごとに権現舞を舞って神楽を演じていました。早池峰神楽では、この慣行が『回り神楽』『通り神楽』として昭和初期まで行われていました。」*5
つまり、神楽は神社で舞うだけでなく、かつての鹿踊り、剣舞や、獅子舞いがそうであったように、町中をめぐって門ごとに演じたのです。
ところで、この「雪峡」を扱ったおそらく唯一の論文で、富樫均氏は、この“神楽”について、つぎのような理解を示しています:
「神楽は日本の国に最も古くから伝わる神事芸能である。光悦本謡曲・三輪
*6に『先は磐戸の其のはじめ、かくれし神を出さんとて、八百万の神あそび、これぞかくらのはじめなる』とあるように、そのはじまりは天岩戸伝説に由来するといわれる。」神楽の起源は、「山の洞窟に隠れた太陽を呼び出す」招日伝説とつながり、「民俗学的には『一陽来復』を願う冬至祭祀との関連が深い」
*7
神楽の起源を、『古事記』『日本書紀』にある天岩戸伝説に結びつける由来譚は、たいへん一般的なものです。しかし、そもそも天岩戸伝説の
天鈿女命は、日本で最も古い芸能人なわけですからw、‥神楽にかぎらず、あらゆる日本の古典芸能が、もとは天岩戸に由来するのだと主張しているようです。
それはともかく、この神楽の由来譚は、宮沢賢治も聞いていたでしょうし、第1連の神楽と、第2連の太陽が雲から顔を出すシーンの結びつきは、天岩戸伝説を意識したものと考えても、まちがえとは言えないでしょう。つまり、↑冨樫氏の読みは、まずまず妥当なところなのかもしれません。
*8
しかし、それにしては、第1連の「み神楽」は、おぞましすぎはしないでしょうか?
しかも、それが宮中祭祀だということになれば‥‥
「いみじくも」は、“すばらしくも”という意味にも取れなくはありませんが、「忌みじ」のもともとの意味は、「忌む」、つまり神々をタブーとして恐れることから来ています。
雲から「奔り出て」くる太陽の姿も、神々しいというよりは、岩戸を突き破って転げ落ちてくるようで、“正しさ”の仮面をかなぐり棄てた破壊力のイメージではないでしょうか?
ともかく、この詩は、手放しで喜べない要素をたたえています。
そこで、第2連に現れた「白金環」と「白金黒」という用語について、説明しておいたほうがよいでしょう(つづく)
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*1 下書稿(四)手入れ(2)。ルビはすべて編集者。
*2 草稿には、「屈」に「山」カンムリの字が書かれている。読みは、他の草稿から「いはや[イワヤ]」。よって、「窟」に作る。
*3 『文語詩稿五十篇』『文語詩稿一百篇』は、それぞれ作者が表紙をつけてまとめていた定稿ファイルの題名。
*4 森荘已池『宮沢賢治の肖像』,1974,津軽書房,p.375. 森荘已池(実名:森佐一)は、宮澤賢治の10歳年下の詩友で、賢治との交友を描いた自伝小説『店頭』で直木賞受賞。
*5
http://www.tohoku21.net/kagura/history/iwate_yamabushi.html
*6 「光悦本(嵯峨本)」は、17世紀はじめに、京都嵯峨の豪商・角倉素庵が琳派の本阿弥光悦・俵屋宗達の協力で出版した活字印刷書籍。
*7 富樫均「雪峡」,pp.226-227,in: 宮沢賢治研究会・編『宮沢賢治 文語詩の森・第三集』,2002,柏プラーノ,pp.224-231.
*8 なお、冬至祭祀の関連を補っておきますと、「1年のうちで最も太陽の力が弱まる時期に、その太陽の再来と生命の再生を願って神威を招き迎え、生命力の強化を祈願した鎮魂の儀式が、神楽の起源です。」