正義多面体
……とある蛙
正義の上で踊っている我々はどこへゆく
世の中のクレーマーは正義漢だと自分で勘違いしている者が多い。
自分のけちな利益のために暇な時間を使って執拗に抗議しているのが現実的な評価である。しかし、本人の気分としては社会正義の実現のために行ったもので、それを標榜し且つ声高に公言して、恫喝の武器とする。因縁をお勉強するやくざと変わらない。
正義は必ずしも真実の味方ではない。だからといって悪というわけではない。
大体歪(いびつ)な多面体を持ったものである。したがって、見る方向によって正義の形が違う。そのことに気づいた輩はいずれ正義を口にしなくなる。
自分が絶対に正しいなどいうのは世迷い言でしか無く、分かりきった結末なのだ。
それにもかかわらず恥知らずな人間 つまり、正義を顔の前にぶら下げた人間は他人のケツの穴が臭いと喚き散らす。もちろんそいつが他人のケツの穴の匂いなど嗅いだわけもなく、他人のケツの穴とは自分が目の前にぶら下げている正義とやらと同じ匂いである。
そして、臭いと騒いでいる人間の世迷い言をそのまま世間に撒き散らして、自分で撒き散らされた世迷い言の欠片を集めて裏付けとしている。
したがって、何ら正義であることの根拠とならない。その程度の歪んだ正義も声が大きければ通用するのだ。それが世間である。
大体知ったようなことを口にして悦に入っている人間は裏表があって、時には醜悪な部分をたくさん持っている。そのような人物がたくさん慈善事業を行ったり寄付などすると 今度は あいつは偽善者で売名行為だ などと言う。これまた醜悪な部分と政治的な部分、ひがみ根性などをたくさん持った者がいう。別に批判するのは自由であるし、正しい部分もあろう。正に正義かも知れない。
しかし、何もせずかような批判のみ繰り返し、いざと何かやるかと思えば子供以下の為体で何もできないで、ただ慌てふためき喚き散らしパニックになる、そんな人種が多くないだろうか。彼らにとってこれもまた正義なのだ。
いわゆる経済的成功者のなかで悪徳○○と言われ無いものはいない。しかし、今般、コンプライアンスにうるさくなってから経済の硬直化が進み、大企業が固定化しつつある。すでに大企業寡占の悪い状態が継続している。現在の暗いご時世はいんちきなとまでは言えないにしても正義による共倒れの日本というご立派な国になりそうである。勝手な正義の押し売りは益々活性化を奪い国を暗くして行く。
多面体の一面から透けて見える醜悪な中身
我々はこのように透けて見える正義多面体の上で暮らしている。
このことは幸せなのだろうか??
そして、ますます怪しい社会になって行く。