貴女は死、夜の眠り
凍月




つまらない事でも
人は死にたくなるものだ

どうしようもなく死にたくなって
家を飛び出した深夜
空が墨汁でも零したのか
夜がどこまでも黒い
1と0に点滅する電灯を辿って
いつしか僕は森に入った
羽虫が耳の横を通り
脛を草木が掻く
柔らかい土の間隔
死にたい
というシンプルな願望、虚無感
そこで僕は異変を感じ
立ち止まった……

どうやら森の奥まで来ていたようだ
鬱蒼としていた視界が
数メートル先は開けている
ふらふらと
僕は歩いていった

そこは空き地のようだった
そこは空気が湿っているように感じた
何かの輪郭が見えるが
それが何なのか判断が付かなかった
段々と目が慣れると
目の前に
十字架の墓場があった
傾いた幾つもの十字架
何だここは……
十字架だけではない
地面に刺さった処刑刀
絞首台に断頭台
そして黒く装飾のある棺
蓋は開いていた……

数個散乱した頭蓋骨
尺骨と背骨
地を這う幾何学模様
R.I.P.と刻まれた墓石…
一体此処は何なのだ?
墓場か…?いや違う
そうすると何なのだろう
何をする場所なのだろう?


瞬間、耳に迷い込む歌声
透き通った、今にも消えそうなか細い声
それだけで、身体の芯が震えるような
言葉ではない
旋律だけの鼻歌のような
三日月の切なさと輝きを持った歌
聞いただけで何故だか分かった
これは鎮魂歌だと
誰かが誰かに捧げて祈る
悲しい月光なのだと

見上げると
乱立する十字たちを背景に
一本の白く光る
斜めに突き刺さる長い十字架
それに腰掛けた
人の影
フード付きの黒ずくめの服を着た横顔
白い肌の鼻と口だけが見える
その唇から流れた鎮魂歌
両手は後ろにして身体を支え
すらりと伸びた黒い脚を
前後に揺らして歌っている


僕はただ、見とれていた
僕はただ、聴き惚れていた
 そして、足を一歩踏み出した
  足下の枝が折れる
   乾ききった音………

僕は死にたくなった
僕は恐れた
見つかってしまう事にではない
あの人の歌の邪魔をしてしまった事に


歌声は止まり
沈黙
そして
黒いフードがこちらを向いた
微かに見えた白い顔
心奪われる美貌は
残響も残らない歌より儚い
大きな目が瞬きをする
右肩だけをすぼめて
首を傾げるように頭の重さを乗せた
その仕草だけで
僕の血流は氾濫寸前となり
僕の心臓は破裂しそうになった
彼女は
−そう、女性みたいだ−
左手を挙げて
黒い袖から指先だけを出して
ひらひらと手を振った

僕はしばらく動けなかったが
我に返って頭を下げた
そして謝った

顔を上げると
いつの間にか彼女は僕の目の前にいて
僕の顔を覗き込んでいた
また、大きな目が瞬きをした
瞳に吸い込まれて消える
白い肌だ


 「ねぇ」
と呟くゆうに言われ
死体のように硬直して

 「なんで君は此処に来たの?」
と問われて初めて思い出す
そうだ
僕は死にたかったんだ

「死に場所を探しに」
と応えてみる

 「なるほど、それなら此処に来て正解だったね」
 「首吊りも断頭も銃も薬も火も水も、死ぬためのものは全部揃ってる」
 「何より、死んだ後の墓があるからね」

そう言って微笑んだ貴女は
この世の何より美しかった
そして貴女は
死のうとする僕を
引き留めないのですね
それが
限りなく嬉しくて


 「ところで、後悔は無い?」
と尋ねられたので
「ありません」
と即答する
「死ぬ前に貴女に会えただけで、それで十分です」

彼女は
ふふ
と笑ってこう言った

 「それなら、私が……君が絶対に“まだ生きていたかった”と思えるようなやり方で…」
 “殺してあげる”

悪戯っぽい魅力的な笑顔だった
でも、それでも
今の僕には迷いも後悔も無い



 「さよなら」
貴女はそう言った
 貴女は、その細い両腕を僕に伸ばした
  冷たい手が僕のうなじに触れた
   そのまま、ふわり と
    君の体重が僕に流れた
   軽くて冷たくて華奢で柔らかで
  僕は溶けて融けてとろけて
 ただ、幸福で心地良かった
貴女は僕を抱き締めた
 本当に冷たかった
  僕の生きているという熱が
 君の極限に優しい冷たさで薄れ
最後には、同じ温度になった

とても、心地良かった

震えそうなくらい……


あぁ……君の名前は……聞けなかった…けれど…多分分かった………君ともっと…話して…おけば……良かっ…た……な……………
…………君の名は……………




 「おやすみなさい」
と君が言った声がした気がした


黒い夜の雲が晴れ
三日月が世界を包んでいた






自由詩 貴女は死、夜の眠り Copyright 凍月 2014-08-11 23:10:57
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