まなざしのこと
はるな


宝籤はもうすぐ二歳になる。相変わらず尻尾の先をわずかに白く染めているかわいい黒犬。でも、もう自分の手足を持てあましたようなちぐはぐな動きは消えてしまった。暑い日、賢い番犬よろしくブロックのうえに身をながく横たえる宝籤。名前を呼ぶと、耳をぴくぴくと動かしてから、ゆっくりとわたしのほうを向く。
花も、もう自分の名前をわかっている。生まれて百日になる日には父と母と(すなわち花の祖父母と)、わたしの姉妹(つまり叔母たち)、夫(つまり父)の膝のうえで鯛や梅干しを興味深くみつめていた。―かわいそうな宝籤はお留守番させられていた―
花のさいきんの気に入りの遊びは右手と左手を組むことで、いちいちその出会いに驚いては全身をはねさせて喜んでいる。
あの子たちのいつもかぎりなく清潔なまなざし。

わたしはといえば、里帰りからもどってきてから何度も似たような夢―かつての恋人が登場し、わたしを喜ばせる―をみる。眠っているときだけでなくて、洗濯ものを干しているとき、冷蔵庫の扉を開けるとき、窓用の洗剤をふきつけるためのレバーを引いたとき。一瞬ずつ、夢は、いつもわたしを絶望させる。彼も不思議に清潔なひとみをして、わたしたちを見た(わたしたちというのは、それは彼には恋人がたくさんいたから)。あのひとみが、彼の娘にも向けられるのだとしたら、それはたいそう残酷で愛しい間違いだ。
花は、もしかして、いつかわたしを恨むかしら。わたし自身が、生きていることの無意味さを唱えながら花を産んだことを。それでも生きていることは、(すべては)、限りなく無意味だから尊いと、教えようとすることを。花はいつ、わたしを恨みはじめるだろうか。(わたしが世界にそうしたように。)

こんなところまで来たよ、と、花に(もしくは宝籤に)話しかけるとき、十六のわたしは薄く引き伸ばされて天井に張り付いている。死のうと決めていた、それだけが重要で必然だった。それから十年経ち、わたしはずっとここにいて、でも景色はめまぐるしくかわった。男の子たちがやって来て去っていき、女の子たちは笑ったり泣いたりして女の人になってしまった。夫がやって来て、わたしを抱き、そうこうするうちにあのかわいい宝籤が両親のもとに訪れ、しばらくしてわたしは花を産んだ。
こんなところまで来たよ、と、途方に暮れて花に話しかけるとき、清潔なまなざしはまんべんなく濡れている。花は退屈そうに口を開いて閉じて、手足をばたばたさせます。



散文(批評随筆小説等) まなざしのこと Copyright はるな 2014-08-07 15:23:01
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