さよなら、お母さん。
永乃ゆち



あの頃わたしの精一杯で生きていた。



遠い記憶は優しいものではなかったが
大きな怪我も病気もせずに
三十年以上生きてこられた。
親には感謝すべきなのだろうが
生憎ずいぶん前から
親を親として認識できないでいる。

わたしにとって父も母も
親と言う名の他人だった。
父はわたしが幼い頃家を出て行ったので
余計にそう思う。


母は。
母は、毎日わたしに暴力をふるった。
何度も男を変え、その度家に連れ込んだ。
一日だけの時もあったし
二、三週間の時もあった。
そして一番長く続き
わたしが知る最後の男になった人は
一年以上生活を共にした。


その男も。
母がスナックに働きに行っている間
毎晩わたしを殴った。
顔を殴ると、母にばれてしまうので
お腹や背中、腕や足などを
殴られたり蹴られたりして
まだ小さかったわたしは
勢いで吹き飛ぶほどだった。

今になって思うのは
その男がとても冷静に
わたしを殴っていたと言うこと。
そしてそれはしてはいけないことと
きちんと認識していたこと。
カッとなって衝動的に殴る方が
まだましだと思った。


毎日。母からも男からも殴られ
早く殺してくれと思っていた。
早く死にたいと思っていた。


それでも、母に男の暴力を言い出せなかったのは
母が、やっぱり母のことが好きだったからだ。
一度だけ、母に抱きしめられたことがある。
酔って帰ってきた時。

『たった二人だけの家族なんだよ』

母は泣きながらそう何度も繰り返した。


母の好きな人が子どもを殴っていると伝えたら
母が傷付くんじゃないか。
そう思っていた。
お母さんの好きな人だから、我慢しよう。
そう決めていた。


でも、ある時一度だけその男に反抗したことがあった。
『顔も見たくない』
そう言うと男はにやにやして『分かったよ』と言った。


翌朝、起きてみると、男が新聞で顔を隠している。
母が不思議そうに『何してるの?』と聞いた。
その男は『顔も見たくないって言われたから』と言った。

わたしは、悔しさがこみ上げてきて
朝食もとらずに学校へ行った。

学校から帰ると、母の第一声はこうだった。

『お兄ちゃん(男の事をそう呼んでいた)と
ケンカしたの?仲直りして欲しいな』

母は、なぜケンカしたのか理由は聞いてくれなかった。
ただ、仲直りしてくれと言った。
わたしは悔しくて悲しくて泣きながら
『お兄ちゃん』に謝りの手紙を書いた。


暴力はそれ以降も
『お兄ちゃん』が見合い結婚すると言って出て行くまで
ずっと続いた。


わたしは早く家を出たかった。
母のことを嫌いにならない内に。
暴力で支配されていたあの家から。
とにかく逃げ出したかった。


そして高校卒業と同時に、文字通り逃げるようにして
実家を飛び出した。

新しい街は、当時の新幹線で
六時間くらいかかる場所に決めた。
遠く。
遠く逃げたかった。
もう。
母の顔もあの家の思い出も捨ててしまいたかった。




そこでの生活は決して楽ではなかった。
何の知識も資格もない十八歳が
一人で生きて行くには、困難な場所だった。


それでも。
わたしはがむしゃらに働いた。
睡眠時間を削って、遊ぶこともなく
ただひたすら、働き続けた。


そうして念願だった自動車を買った。
何か大きなことを成し遂げたような達成感があった。



それから二十年以上が経った。
初めての車は今はない。
この二十年間で、わたしの生活や身辺は
目まぐるしく変わって行った。


死にたくなるほど辛いことも
心から感謝する幸せなこともあった。
しかしその間、母とはずっと会わずにいた。



母が入院したと、親戚から聞き
二十年ぶりに故郷に帰ったわたしが見たのは
あの、厳しく威圧的な母ではなく
痩せ細ってしわだらけになった
か弱い初老の女性だった。



話したいことはずっとずっと前からいっぱいあったのに
わたしは一言も話すことができなかった。


弱々しくベッドに横たわる女性を見ると
涙が止まらなかった。
その涙は、悔しさの涙だった。



今更この病人に、何を責められるだろう。
二十年以上前のことを、はたして伝えるべきなのだろうか。




わたしは。精神を病んでいる。
もう十年以上、薬を飲み続けている。

幼い頃の経験がトラウマになり
PTSDと言う診断名が付いた。

ドクターは、昔あった嫌な出来事や思いを
母に伝えることから、第一歩が始まるんだよと仰った。



けれど。
わたしは未だにそれができずにいる。
母を責めてるようで、憎悪や攻撃の対象に
してしまいそうで、怖くて言えないのだ。



あの頃わたしの精一杯で生きていた。




友達の前では明るく振る舞い
家では厳しい母に気に入られようと
良い子でいるよう努めた。
けれど毎日怯えて暮らしていた。




それでも、わたしは生きてきた。




もう、そろそろいいんじゃないだろうか。
母のしたこと、『お兄ちゃん』のしたこと。
そして二人の存在自体を忘れ去っても。
暴力の呪縛から解放されても。
いいんじゃないだろうか。


十八で逃げ出したわたしだが
何からも逃げきれてはいなかったのだ。


わたしが逃げる方法は
真っ暗な世界に堕ちてゆくことだけだと思う。


今は、その時期や手段について
綿密に計画をたたている。


さよなら、お母さん。
あなたのこと、大嫌いだったよ。


散文(批評随筆小説等) さよなら、お母さん。 Copyright 永乃ゆち 2014-08-01 02:44:18
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