サムソンとデリラ
atsuchan69
さて、聖書にはじつに多くの殺人行為の記載がある。
「この時、主の霊が激しくサムソンに臨んだので、サムソンはアシケロンに下って行って、その町の者三十人を殺し、彼らからはぎ取って、かのなぞを解いた人々に、その晴れ着を与え、激しく怒って父の家に帰った」士師記14:19
また、次の記述について少し話したい。
「かくてサムソンは父母と共にテムナに下って行った。彼がテムナのぶどう畑に着くと、一頭の若いししがほえたけって彼に向かってきた。時に主の霊が激しく彼に臨んだので、彼はあたかも子やぎを裂くようにそのししを裂いたが、手にはなんの武器も持っていなかった。しかしサムソンはそのしたことを父にも母にも告げなかった」士師記14:5,14:6
「日がたって後、サムソンは彼女をめとろうとして帰ったが、道を転じて、かのししのしかばねを見ると、ししのからだに、はちの群れと、蜜があった」士師記14:8
ここでサムソンは神との約束を大胆にも裏切っているのだ。(それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。士師記13:4)
「彼はそれをかきあつめ、手にとって歩きながら食べ、父母のもとに帰って、彼らに与えたので、彼らもそれを食べた。しかし、ししのからだからその蜜をかきあつめたことは彼らに告げなかった」士師記14:9。というワケのわからん喩えなのだが、そーゆーアホなことをいったい誰が果てしなく考えつづけるだろうか? 説明するのがとても面倒なので幾らかショートカットするが、士師記13章からはじまる、このあまりにも有名なサムソンとデリラの件には、「七日」だの「亜麻の着物」だの「婚礼」だの黙示録へとリンクする謎のキーワードがたくさん鏤められていて非常に興味深い。たぶん、いや文字通りこの若い獅子はサムソンを襲ってきたのだからあくまでも敵である。そして甘い蜜は【神の言葉】(詩編第19篇1〜9)の意だと思うし、敵(サタン)の身体に蜂の群れと、蜜があったとなるとバチカンがぶっ飛ぶような解釈を強いられてしまうが、「獅子」というのは国家もしくは権力の象徴であり、バビロン、そして古代イスラエルにおいても、ソロモン王が建てた宮殿の「玉座に六つの段があり、両側に十二のししが立っていた」と列王紀に記されているので、もしかするとイスラエル(この時代にはまだ王国ではなかったが)なのかも知れない。そしてもっとさらにバチカンを怒らせたいなら、イエス・キリストこそダビデのひこばえであり、ユダ族の獅子である。もちろんボクは、バチカンもフリーソーメンも怒らせたくないのでこの説は否定する。それはさておき、サムソンの母に現われた天使の名前がそのまんま「不思議」なのだからメッチャ面白い。そもそもイスラエルを救うべく神から遣わされた男が成長すると、さっそく異教徒の女をめとり、自分の思い通りにならないと暴れて大勢の人間を殺してしまうのだから超トンデモだ。また天使である「不思議」さまが、サムソンの母へ「ぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません」と語っていることにも注目しておこう。ふつう聖書で語られる「ぶどうの木」とは、キリスト・イエスを指しているからである。ラスト、三千人を収容する巨大なダゴン神殿のなかで眼をくり抜かれ見世物にされているサムソンが「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」と言ってから渾身の力で二つの中柱を押し倒して神殿をまるごと崩壊させてしまうクライマックスでは、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と語らせている。うーん、裏読みとか勘違いってあまりしたくないのだが、この話、不思議に満ちていてもうまったく素晴らしすぎる。どんどんトンデモワールドの深みへとへ惹きこまれてゆく。こんなことばかり考えていたら、夜も眠れない。
追記:旧約こそがサムソンを襲った獅子だとする説‥‥。ええと、彼は死体の蜜を手にしたときすでに律法に背いていた。