鈴の比喩
ユッカ

鈴にたとえて考えたい。わたしの体のなかにおそらく百個の鈴がぶらさがっている。怒りが最高潮まで達するとそのすべてが鳴りだして、もうそれ以外なにも聞こえなくなってしまう。光のような音がオバケみたいにわたしの目のすべてを白く覆っている。鈴は雷鳴のように振動する。足下をビリビリと揺さぶっていく。からだは衝撃に怯えて動かない。ただびっくりした拍子に蹴ってしまった壁がドスンと鈍い音を立ててひび割れたまま直立している。なんだ、雷か。静まり返った胸の中、重みに耐えきれずに落ちてしまった鈴がひとつだけある。それがおそらく愛だった。

あてつけのようなことをしたくて策を講じても、頭がわるいのが幸いして何もできない。それは唯一よかったことだと思う。わたしたちは幸福でいなければいけないんだ、という茫漠とした思いに足をつかまれてはいないか。風のない丘にひとり立たされているような気持ちから抜け出せない。義務感にずっと閉じこもっていたら息が苦しいんだ。わたしは飢えていないし安心して眠れる寝床もあるしある程度やさしい一般的な家庭に恵まれている。それなのに急になつかしいようなかなしいような不穏なきもちに襲われて何もできない。それは朝も昼も夜も何も関係なく。何が平和だ。この嘘つき。大っきらい。

嘘をつくことと本当のことを言わないっていうことは、違うようでいてまったく一緒だね。何も言えない関係はなんて貧しいんだろうね。音も無く抱きしめられても体温が離れたらすべて忘れてしまうのに、言葉から離れたがる、ある日突然すべての鈴が鳴りだす。それを永遠と呼んでもいいけど、こんな真似事になんの意味もないってことに早く気づいてよ。


自由詩 鈴の比喩 Copyright ユッカ 2014-06-09 23:40:25
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