この世の終わり症候群
中山 マキ




巴ちゃんの娘さんが5歳になった
人を人として認識すらしなかった丸い瞳が
わたしを捉えて微笑む
子供と大人の5年の差は大きい

記憶障害かと不安になるほど
時々、思い出せないことが多いことに気が付く
それは思い出であることもあれば
人の名前、食事の内容の時もある

人間が脳に記憶する容量は決まっていて
不必要な記憶から消えていくらしいけれど
これといった仕分けをすることもなく
半ば強引に記憶は次々と削除されているのかもしれない

それが自分自身の行いとは思えないが
淋しさや悔しさが付随する記憶であればあるほど
必要不必要を鑑みることもなく
快適な精神世界を維持するために
容赦なく捨てているものもあるのかもしれないと思う


近所の桜は今年も満開に咲いて見事に散った
公園の入り口にある赤い実のなる木(名前はわからない)も
そろそろ芽吹き始めている
向かいの黒い犬が突然いなくなって小屋も壊されていて
少し怖い気持ちになったけど
朝にお散歩させている姿を目撃して安堵して(犬の住まいが家の中に変わっていた)

髪の毛は伸びているし、割れた爪も修復している
徹夜をしそうでも気付けば寝ていて
出血をすれば頼まずにもかさぶたが出来る
自己治癒能力はまだまだ現役で
大きく言えば常に地球は回っていて
その回転軸にわたし達は生活の基盤を合わせているのだけれど

時々、
わたし一人だけが置いて行かれている気持ちになるのは
何故なのだろう
時々、
無意味なほどに理由もないままに
褒めて欲しいと強欲になってしまうのは
どうしてなのだろう

こんなにも人に囲まれているのにわたしって奴は
無害のように装って、実は無害じゃないので
我ながら、なんて面倒くさい人間なのだろうと
思う





自由詩 この世の終わり症候群 Copyright 中山 マキ 2014-05-19 17:29:29
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