宮澤賢治に寄せて
嘉村奈緒

■宮澤賢治

 さて、先日図書館で宮沢賢治を借りてきたのです。ネットで詩をはじめた自分にとってあんまし本てのは食指が動かんかったわけです!!!!(ダメすぎ)面白いくらい詩を読んでないわけなのですが、このたび「もっと日本語を知りたいなあ」と言ったところ「本を読むといいんじゃない?」といわれ、前々から薦められてた宮沢賢治を手にとったわけです。やー。もう天才ですね、ほんとに。
 私は単純に、ほんとに日本語が好きで、「詩は美しい」とか言えるのはすごくいいことじゃんかって思っちゃう。もう、こう思えなくなったらお終いだと思う。見てくれとかスタンスも大事だけど、日本語愛してなきゃ書けない。こっから先は宮沢賢治を誉めちぎる文です…!!!
 本は筑摩書房、新校本「宮澤賢治全集 ニ」より。

【丘の眩感】(抜粋)

  (お日さまは
   そらの遠くで白い火を
   どしどしお焚きなさいます)

笹の雪が
燃え落ちる、燃え落ちる

 言われると「そうだなそうだよね!」て思いません?「どしどし」ですよ?宮沢賢治は物の言い回しをやけに丁寧に書いていたりするのだけど(素なのかもしれないけど)それがまた胸倉にぎゅんぎゅん入ってくるのです。最後の終わり方で2度言っているあたりも非常にたまりません。

【恋と病熱】

けふはぼくのたましいは疾み
烏さへ正視ができない
 あいつはちやうどいまごろから
 つめたい青銅の病室で
 透明薔薇の火に燃やされる
ほんとうに、けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない

 この詩もすごいなあ。注目するのは「烏さへ正視ができない」てところですよ!どうやったらこんな表現できるんだろう…。あとは「けふはぼくもあんまりひどいから」というところかな。「あんまり」の使い方が自分と違っていて衝撃的でした。この場合だと自分だったら「あまりにも」になるだろうな。つまらん!なんてつまらない使い方するんだ自分!つか、固定概念が強いのだね。「この文はこうあるべき」っていう発想が多くて縛られてる感じがする。

【山巡査】(抜粋)

栗の木ばやしの青いくらがりに
しぶきや雨にびしやびしや洗はれてゐる
その長いものは一体舟か
それともそりか
あんまりロシヤふうだよ

 もう、何が山巡査なのかさっぱりなのですが!ここにも「あんまり」出てきますね。「あんまりロシヤふうだよ」って言われただけで死んでもいいって思いますよね!あんまりロシヤふうって。凄すぎてドキドキしますよ。何よもうそれ!みたいなね。アレですよね。

 賢治は擬音とか会話とかがすごくたまらないと思う。音がね、いいの。読んでても一行一行がさくさくと歯切れもいいし、楽しい。音も大事だな…。リズムも。聞こえる音を本当に素直に書いているのだと思う。雨ひとつの音を考えて聞いちゃっている自分と違う気がする。ひとり、自分の概念とまったく違う音の捉え方をする書き方をする人がいて、その人を思い出したりしてました。もっと世界に素直に生きていきたいな。

【序】(抜粋)

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

 縦書きじゃなくて申し訳ないけど…!この詩も有名ですね。あまり詩を読まない自分でも知ってました。賢治の詩では、時々専門用語が出てきます。時々っていうか多々だけど。なぜそんな単語を知っているのかしら、と思っていたのですが、聞いた話では賢治は先生だったようです。それも理科らしい。「光波測定」とか「カルボン酸」なんて、違和感なく詩に組み込めませんよ…。
 この詩も交流電燈なんて出てきますが、同時に幽霊の複合体なんて言葉も出てきます。一見対照的な位置にありそうなものなのに、さらりとやってのけられて、もうグルグルですよ…!!もちろん、ここでの好きなとこは「わたくしといふ現象は〜ひとつの青い照明です」の一文です!

【春と修羅】(抜粋)

まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

 本のタイトルにもなってる「春と修羅」です。この詩は、言葉が次から次へと畳み掛けてくるような感覚になる。情景が続く詩は実はちょっと苦手なのだけど、やっぱり音がいいせいか、さくさく読めますよ、これも。少し長いのだけど、とりわけこの部分が素晴らしいです。「おれはひとりの修羅なのだ」なんて書けませんよ!書けやしませんよ!!四月の底って!はぎしり燃えてって!ギャー!!
 あとこの詩のすごいところはですね、

草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか

 ここですね!!!!!!わかりますか?「ほんたうにおれが見えるのか」ですよ!そんな風に思いますか?思いませんよ!(少なくとも自分は)「いるのか」という発想ならまだわかるんです。わかるというか、ありそうだな、というか。でも「見えるのか」という問い方は目から鱗がボリボリ落ちていきましたよ!!そのベクトルの持っていきかたは凄い!て本当に思った。あのね、この一文は紛れもなくすごい一文なのだけど、うまく説明ができない…。むぎゃーーー。

【犬】(抜粋)

なぜ吠えるのだ、二疋とも
吠えてこっちへかけてくる
(夜明けのひのきは心象のそら)
頭を下げることは犬の常套だ
尾をふることはこわくない
それだのに
なぜさう本気に吠えるのだ
その薄明の二疋の犬
一ぴきは灰色錫
一ぴきの尾は茶の草穂
うしろへまはつてうなつてゐる
わたくしの歩きかたは不正でない
それは犬の中の狼のキメラがこわいのと
もひとつはさしつかえないため
犬は薄明に溶解する
うなりの尖端にはエレキもある

 これもなかなか好きな詩です。普通にシチュエーションとしては怖いものです。吠えてかけてきてるなんて!!なのに普通に次の行に「夜明けのひのきは心象のそら」とか書かれても!「犬の常套」とか、「わたくしの歩きかたは不正でない」とか。うん。静かなのだよね。決して印象が薄いとかではなくて。賢治の言葉は決して重くは思えないの。これだって、言うなれば犬のことですよ?犬がかけてくる内容の詩なんて、自分が書いたら間違いなく納得いくように書けない。犬の特徴とか、「どうして?」なんて疑問をからめて、こんな風には書けない。まったく自信がない!(どーん)犬の中の狼のキメラがなんなのかもわからない。わかってなくてもいいとは思ってる。でも自分の知らない世界を突きつけられてるみたいで、魅せられちゃうじゃないですか。
 「犬は薄明に溶解する」なんて、自分の世界にはないよ…。泣きそうになってくるなあ…笑



 賢治はよく詩の中で、木の名前を2つ使ったり、鳥の名前を2つ使ったりしています。実はこれは案外とすごいことではないかと思ってます。勝手に。
 自分では詩の中で「杉が檜が」とか書いたって、間違いなくぼんやりしてしまいそう。んと、それぞれを際立たせる必要があるとかではなくて、それぞれが殺し合いそうな書き方しかできなさそうなんですよね。短い詩の中でだって樹木がずらずら出てきたり、鳥がバタバタ飛んでたりしているのに、なんでこんな普通に書いてのけてるのかっていうのがすごく不思議だったんですよね。前々から思ってたこの違和感のなさ。やっぱり見ているものだからだろうな。毎日林も山も見てるから、こんな風に書いても違和感ないんですよね、きっと。私が森のことを書いても、うまく書けないのはやっぱり森に行ってないからだろうって思った。しょんぼり。

【永訣の朝】(抜粋)

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつさう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蒪菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした

 学生の頃、教科書に書いてありました。そこではじめて「あめゆじゆ」の意味をならったりしたなあ・・・。この詩は圧力がある。底からジクジクとしている空気を出しながら迫ってくる感じがして、何も言えなくなってしまう。それなのに、「まがつたてつぽうだまのやうに」て!!!!素晴らしい表現はゆるむことなくいきているわけで。もう、何ていうか、彼は神です。

【青森挽歌】(抜粋)

こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
   (乾いたでんしんばしらの列が
    せはしく遷つてゐるらしい
    きしやは銀河系の玲瓏レンズ
    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

 青森挽歌は「いいよ」と言われて初めて読んだのだけど、この詩はなかなか曲者です!!!よ!!!とりあえず水素のりんごのなかってあたりでキュンキュンしますしね!途中でね、「ギルちやん」てのが出てくるんですけど、もう唐突すぎて目が離せないわけなのですよ。「ギルちゃんて誰!?」みたいなね。でもこのギルちゃんの件もとても素晴らしいの!!「ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ」とか「ギルちやん青くてすきとほるやうだつたよ」とかね!!!ギルちゃんが誰だとか最早問題じゃなくなってきているわけですよ!すごい大好き、ここ。
 この詩はすごく長い。うねってるみたい。溢れていて循環していて頭をがっしりと捕まれてるみたい。終わり方はこうなってます。

ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなつてからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます

 最初読んだとき「?」て思いました。普通は妹がいいとこに行けばいいと「いのる」ものじゃないのだろうか、と。そしたら宮沢賢治は熱心な仏教徒だったようですね。なので「一人だけ」ではなくて「みんなが」という考えのもと、上のような書き方になったんだと。でも「おもひます」て書いてある。断言してない言い方に、これまたクラクラしてしまうじゃないですか!!そこでそういう自信なさげな言い方されたらたまりませんよ!!!ね!!(プギャー

【冬と銀河ステーション】(抜粋)

そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます

 掲示板で、大富さんに教えてもらった一文、最後の最後にのってました!!!この部分も絶品ですよね!出だしからこれですよ!!!!テンションも高くなるよ!!!あとはね、あとはね、

川はどんどん凍りを流してゐるのに
みんなは生ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚を品さだめしている

 ふおお・・・!!!!い、犬の毛皮?「陶器の露店をひやかしたり」っていいよね!あとあと「たこ」って「章魚」って書いてたのね!!初めて知ったよ・・・。章魚とか、出てくるなんて素敵だよーーー。自分ももっと、いろんな言葉を掬っていきたい。詩にできない言葉は本当はきっとないんだと思いたい。

パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のような盛んな取引です




■かんそう

 詩を読んで「幸せだ」って久しぶりに心底思えた。とても楽しい。彼の詩に出会えてほんとに良かった。これからも読んでく。本も好いものがあれば買って手元に置きたい。今、とても楽しいです!!
 これを読んで、今まで読んだことがないけど、面白そうだなあ、なんて思う人がいたら、すごく嬉しいな、と思いつつ。活き活きと書かせてもらいました!!


散文(批評随筆小説等) 宮澤賢治に寄せて Copyright 嘉村奈緒 2005-01-21 21:06:34
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