居酒屋幽霊
……とある蛙
1
曇り空の夕暮れは
町を朱く染めることも無く
夜の闇が次第に
足元に絡みつく
足取りは重く
暗がりの多くなった街を
抜け出せることもなく
赤い提灯の灯りを頼りに
居酒屋の縄のれんをくぐる。
一枚板の檜のカウンター
注文するのは
もつ煮込みに
二合徳利
大量のネギと七味をぶちまけて
熱いうちに頬張る
それを猪口一杯の熱燗で洗い流す。
2
最初の一杯が終わると
後は手酌でもの想い
ほんの二,三杯呑んだところで
古臭い服を着た二〇代の男が目の前に
あれっ お前、何て言ったっけ
確か大学の後輩で
随分前に死んだよなぁ
葬式にみんなで行ったっけ
母一人子一人
熊本じゃ友達が来られないと
無理に葬式を都心の寺でやったよなぁ
出棺前に母親が泣き崩れるのを
まだ若かった俺も見ていられなかったなぁ。
顔は分かるけど
名前、思い出せないよなぁ、
親不孝だなぁ
ああそうだM
Mだよなぁ
どうだい向こうじゃ
上手くやっているかい。
お前のお袋ももう来てるだろうけど
あれ何暗くなっているんだよ、
お前らしくもない。
3
振り向くとまた三〇代後半の背広を着た男
あれぇSじゃないか
相変わらずニコニコしていやがる
学生時代、俺の後付いて
図書館通いしていたよなぁ
夏の図書館の閉館期間
町田の図書館で勉強していたら
随分古い四つ眼のセドリックに乗って
相模原からやってきたよなぁ
お前も随分早く死んだよなぁ
これからって時に!
おまえも一人っ子だっけ
でもお前死んで、
両親は新潟へ帰ったんだろう。
もうあっちで一緒に住んでいるのかぁ
4
熱燗をもう一本付けてくれ
もう醒めかかったモツ煮を
箸でひっくり返しながら
猪口を口に運ぶ
隣に老夫婦が一組
どこかで見た
というようなものでもなく
両親がそこに
親父
なんだよお袋まで
こんな処に来たこと、ないだろうお袋
何が言いたいんだ
俺には声が聞こえない
俺の声も聞こえないのか?
お袋は酒呑め無いのに
親父ぃ、こんな処連れてくるんじゃないよ
なんだぁ
しっかりやっているかだってぇ
身振りで分かるよ
そんなわけ無いじゃないか
だぁめ!!
だめなんだよ
俺
もう疲れちゃった
じゃなけりゃぁ
こんな処で油なんぞ売っていないって
(暗転)
5
店には誰も客が無く
一人船漕ぐ深い夜
表の暖簾はすでに仕舞われ
眠りから覚めた男が独り
「親父幾らだ」
しわくちゃになった千円札を
何枚か伸ばして親父に渡し、
ふらりと店を出て行く夜更け
蛙処は隣町
一人布団にくるまるだけの
春の夜更けの一幕でした。
自由詩
居酒屋幽霊
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……とある蛙
2014-05-08 12:10:44
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