居酒屋幽霊
……とある蛙


曇り空の夕暮れは
町を朱く染めることも無く
夜の闇が次第に
足元に絡みつく

足取りは重く
暗がりの多くなった街を
抜け出せることもなく
赤い提灯の灯りを頼りに
居酒屋の縄のれんをくぐる。

一枚板の檜のカウンター
注文するのは
もつ煮込みに
二合徳利
大量のネギと七味をぶちまけて
熱いうちに頬張る
それを猪口一杯の熱燗で洗い流す。


最初の一杯が終わると
後は手酌でもの想い
ほんの二,三杯呑んだところで
古臭い服を着た二〇代の男が目の前に

あれっ お前、何て言ったっけ

確か大学の後輩で
随分前に死んだよなぁ
葬式にみんなで行ったっけ

母一人子一人
熊本じゃ友達が来られないと
無理に葬式を都心の寺でやったよなぁ
出棺前に母親が泣き崩れるのを
まだ若かった俺も見ていられなかったなぁ。

顔は分かるけど
名前、思い出せないよなぁ、
親不孝だなぁ
ああそうだM
Mだよなぁ

どうだい向こうじゃ
上手くやっているかい。
お前のお袋ももう来てるだろうけど

あれ何暗くなっているんだよ、
お前らしくもない。


振り向くとまた三〇代後半の背広を着た男

あれぇSじゃないか
相変わらずニコニコしていやがる

学生時代、俺の後付いて
図書館通いしていたよなぁ
夏の図書館の閉館期間
町田の図書館で勉強していたら
随分古い四つ眼のセドリックに乗って
相模原からやってきたよなぁ

お前も随分早く死んだよなぁ
これからって時に!
おまえも一人っ子だっけ

でもお前死んで、
両親は新潟へ帰ったんだろう。
もうあっちで一緒に住んでいるのかぁ


熱燗をもう一本付けてくれ
もう醒めかかったモツ煮を
箸でひっくり返しながら
猪口を口に運ぶ

隣に老夫婦が一組
どこかで見た
というようなものでもなく
両親がそこに

親父
なんだよお袋まで
こんな処に来たこと、ないだろうお袋
何が言いたいんだ
俺には声が聞こえない
俺の声も聞こえないのか?
お袋は酒呑め無いのに
親父ぃ、こんな処連れてくるんじゃないよ

なんだぁ
 しっかりやっているかだってぇ
身振りで分かるよ

そんなわけ無いじゃないか

だぁめ!!
だめなんだよ


もう疲れちゃった
じゃなけりゃぁ
こんな処で油なんぞ売っていないって

(暗転)


店には誰も客が無く
一人船漕ぐ深い夜
表の暖簾はすでに仕舞われ
眠りから覚めた男が独り
「親父幾らだ」
しわくちゃになった千円札を
何枚か伸ばして親父に渡し、
ふらりと店を出て行く夜更け
蛙処は隣町
一人布団にくるまるだけの
春の夜更けの一幕でした。


自由詩 居酒屋幽霊 Copyright ……とある蛙 2014-05-08 12:10:44
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