今を生きる
吉岡ペペロ

それはひとが置いてきてしまったものへのノスタルジーのようなものだった

いや、ノスタルジーなどではなかった

ちがう世界の発展と調和に今を生きるぼくたちのこれからを重ねていたのだ


ひかりが浜松にしばらく停車した

女が乗ってきてホーム側の席にすわった

そとのスーツ姿の男と身振り手振りでやり取りをしている

男は違うほうへと戻るのだろう

女が腕で富士山のかたちをつくって声をだして笑っている

なぜたがわからないが

背中が吉野家の牛丼を食べているときのように熱くなった

目の前に繰り広げられているのは昭和のような光景ではなかった

自分自身に起こったかも知れないこれからの光景にちがいなかった


それはひとが置いてきてしまったものへのノスタルジーのようなものだった

いや、ノスタルジーなどではなかった

ちがう世界の発展と調和に今を生きるぼくたちのこれからを重ねていたのだ









自由詩 今を生きる Copyright 吉岡ペペロ 2014-05-05 00:49:46
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