赤から青のメルヘン
ハァモニィベル

どうしてそんなに、大きなお口なの?
赤いずきんの少女は尋ねた。
それは至極妥当な疑問だった。
ペローならば、ぺろっとイカレ、グリムなら助かる運命の、幼気(いたいけ)な少女を、だが、もっとハルカニ混乱させたものは、何といっても、フロイトが、オオカミは父親だと言い、ユングは、母親だと言うことなのであった。しかし、いずれにしても、いま、目の前にいるのは恐ろしい狼。それ以外のナニモノでもないのだ、と少女は戦慄した。お気に入りの、この赤いずきんを、エーリッヒ・フロムに「月経の象徴」呼ばわりされたことも忘れるほどの恐怖であった。だが明らかに月経の象徴なのは、椿姫マグリットの5日間胸に咲く赤椿である、と。そう少女は思いながら、万葉集にうたわれた紅花=末摘花が、《華やかだが色あせしやすく,若い愛人の例えに使われた》のを思い出すといよいよ、〈赤〉の悲惨な系譜ということにも、何となく我が身を思って、さらに戦慄を重ねた。ああ、わたしが、深海魚ならば、こんな派手な色をしていても、見えなかったろうに。波長の長い赤しか届かない、赤っぽい深海ならば、そう思うと悔しくて、涙と怒りがこみ上げて来るのだった。すると、自分でもなぜだか不思議なくらい無関係なことが思い出されてきては、どんどん、増々、切迫した現実の中に居る我が身が、まるで凄く凄く不幸な、同情を禁じ得ない赤の他人のようにさえ思えるほど、頭巾の中では渾々と想念が、それもどうでもいいようなものばかりが、湧き上がって来るのを抑えられないのだ。《ギュールズは、紋章学における赤色を表すティンクチャーであり》と、書かれていた難しげな書物の文章を、突如、思い出した。辞書を引いてみると、「ティンクチャーとは、紋章学における紋章の色のことである」とあった。ならば、なんで最初から<ギュールズとは紋章の赤のことだ>とスッキリと書かないのだろうか、カール・ポパーは、「ものごとを簡潔に明晰に語ることが必要である」「 仰々しいだけで不明晰な表現は犯罪的な行為である」と言ってるのに、と頭にきた一昨夜の記憶が突然蘇ったのだった。西洋中世の古典的な白黒印刷においては、模様で色を表徴する必要があり、その方法であるペトラサンクタでは、赤のことを「ギュールズ」というから、さしずめ、わたしは、ギュールズ頭巾ちゃんね。嫌だわ、変よ。そう思ってちょっと、ニヤッとした、その時。それを見たオオカミは、その不気味さにちょっと怯む様子をみせた気がする。でも安心はできない。バシュラールによれば、《あらゆる認識は近似的認識にすぎない》のだから。赤ずきんは眉をキッとつり上げながら、目の前のウルフに対抗するように、さらに意識の流れを続けた。そうよ、赤はチャンピオン・サイドの色、負けないわ。古来から、民俗学で赤は「魔除け」の意味をもつとされているのよ。……そう自分を励ましながら、赤ずきんはそっと、でもしっかりと、大切な〈飛騨の猿ぼぼ〉を小さな両手でカタク握った。





自由詩 赤から青のメルヘン Copyright ハァモニィベル 2014-04-30 16:08:54
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