ドクダミ五十号

 仮想的で良いから、逆を考えるのだ。

 例えば「幸せ」を「不幸せ」の観点から見る。例えば「不幸せ」を「幸せ」の観点で。

 例えば「戦争」を「平和」の観点から。「平和」を「戦争」の観点から。

 例えば「私」を「貴方」の観点から。「貴方」を「私」の観点から。

 例えば「点」から「線」を。「線」から「点」を。

 例えば「無」より「有」を。「有」から「無」を。


  ほら、どんどん広がり、そして収縮してゆくでしょう。

 スケールなんて存在しているし、いない。それが自由気ままって事なのさ。

 囚われたら其処で不自由になっちまう。「自由と云うのは素敵なんだよ何も無い事さ」

 ひっくり返す冒険をしないで泣くなんて、オネショでぶたれる子供の先読みと違わない。

 表側ばかりや、裏側だけとか、そんな世界が君や私の「住処」じゃ無いだろう?

 もっと自由に。もっと囚われて。もっとそのどちらも足蹴にしよう。

 そうだ。心は空気の様に、偏在し、希薄とは無縁にあるべきなのだ。


自由詩Copyright ドクダミ五十号 2014-04-07 07:14:14
notebook Home 戻る  過去 未来