心
ドクダミ五十号
仮想的で良いから、逆を考えるのだ。
例えば「幸せ」を「不幸せ」の観点から見る。例えば「不幸せ」を「幸せ」の観点で。
例えば「戦争」を「平和」の観点から。「平和」を「戦争」の観点から。
例えば「私」を「貴方」の観点から。「貴方」を「私」の観点から。
例えば「点」から「線」を。「線」から「点」を。
例えば「無」より「有」を。「有」から「無」を。
ほら、どんどん広がり、そして収縮してゆくでしょう。
スケールなんて存在しているし、いない。それが自由気ままって事なのさ。
囚われたら其処で不自由になっちまう。「自由と云うのは素敵なんだよ何も無い事さ」
ひっくり返す冒険をしないで泣くなんて、オネショでぶたれる子供の先読みと違わない。
表側ばかりや、裏側だけとか、そんな世界が君や私の「住処」じゃ無いだろう?
もっと自由に。もっと囚われて。もっとそのどちらも足蹴にしよう。
そうだ。心は空気の様に、偏在し、希薄とは無縁にあるべきなのだ。