負の連鎖について
はなもとあお

くやしさをバネに
わたし達は
ときどき生きるけれど
自分が育てる
未来もつものに
自分がされたことの
うっぷんをはらすような
意地みたいなもので
その絆を
つなぐべきでない、と、


わたしはおもう


いたいおもいをした
とてもかなしかった
ひとりの人として見られていない気がした
そんな気持ち
わすれることなく
未来を生きる子らが
二度と同じおもいをすることのないよう


言葉と動作を探す


けれど
人間には限界があって
できることの範囲が決められている


きれいごと
だけ
では
生きていけない
お金はいるし
気持ちに余裕もほしい
怒ったり
泣いたりもするけど
負った
負の連鎖
繰り返さないように
何が必要か
勉強することはできる


それから
不当な扱いから
距離をおく
抗う行動も
時には必要
怒れなくても
逃げたり
言葉で説明したり
それもできなければ
なにか
ちょっとしたことでもいいから
こんな気持ちを持った
溜まる感情の吐け口となる
意志の表明を


つらい
つらいっていうサイン
親でも
間違っていることがある、と、
自分の存在価値を
親からの認め
だけじゃない
自己肯定をもてるようにして


なんて、
いま
自分が
病床で
必死になってること
わかったようなフリして
語ってみたりして


『苦労したよね』
その
経てきた道は
認めるけど
だからといって
同じ苦労を
先祖代々
いつまで続けるつもり?


わたし達は
ひとつの答えしか選べない選択肢は
いつも
いくつもあるのに
試せることは
ひとつしかない


失敗してもいいよ、なんて、
簡単に言えない
失敗の気持ち
カバーするのに
どれだけの努力が必要か
わかるから


だけど
間違っていたら
ごめん、
違った、って
誤りを認めて
やり直す
勇気を持ちたい


わたしは
家事しかできない
働くことのできない
出来損ないだけど





自由詩 負の連鎖について Copyright はなもとあお 2014-04-04 21:39:52
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