感謝しても感謝しきれない
ichirou

20年前、駆け出しの商品開発担当だった頃。
自分が開発を担当したある商品の容器の印刷強度が弱く、
自社のスペックに適合しなかった。
試作の時には全く問題がなかったのが、量産品でうま
く行かない。
原因は試作時と量産時で印刷工程が変わったことだった。
量産行程を考えなかった明らかなミスだった。
そこで試作時と同じ製造工程で量産しようとしたが、
その行程は量産ではコストが合わず不可能だった。
後はインクの組成で対応することしか手段がなかったが、
どうしても解決できなかった。

もう時間切れで商品が出せない状態になったとき、
私はある方に電話をした。
その方は今回の商品の別容量の容器を担当している会
社の営業のYさん。今回トラブルを起こしている容器
メーカーとはライバルの会社。
「……というわけで困り果てています。お願いです。
インクの組成をおしえてください。」
私は無茶を言った。
「○○さん、インクの組成は重要な会社の機密情報です。
その情報を競合メーカーに教える事などできるはずが
ありません。この事はお聞きしなかったことにします。」
早々に電話を切られ、私は途方に暮れた。

すると、しばらくしてFAXが一枚届く。
なんとインクの組成一覧だった。FAXのヘッダーには
Yさんの会社の名前がしっかり印字されていた。
私はそのFAXを握りしめ、インクメーカーに向かった。
翌日容器の印刷は成功した。
その日の夜、私はYさんにお礼の電話をした。
するとYさんは、
「○○さん!あなたは何をおっしゃっているのですか!
そんな事私がするわけないじゃないですか!
変な言いがかりをつけないでください!」
Yさんに叱られ、私は自分のデリカシーの無さを恥じた。

私はお礼を言うのを待った。
Yさんが定年退職するまで
20年も待たなければならなかった。

昨年Yさんが定年退職された。

居酒屋で
私はインクの組成のことをYさんにお礼を言うと、
Yさんは
「覚えてないな〜 ○○さんの勘違いじゃないの。」
と相変わらず知らぬ顔。

私は酔いつぶれてもお礼を言い続けた。

Yさんは私に自分の上着をかけて、
朝まで私につきあってくれた。





散文(批評随筆小説等) 感謝しても感謝しきれない Copyright ichirou 2014-04-03 21:59:22
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