俺の今生という名の道標
ホロウ・シカエルボク



狂ったようにいくつもの音が頭の中で鳴り響く、魚眼レンズを覗いたように景色は不確かだ、俺はゆがみのみで現実を把握しながら、真っ直ぐに歩こうと今生に根差している、靴底が踏みしめる地面は誰かの血で赤黒く染まっている、俺にはそれが未来の俺が流したもののように思えてならないのだ、未来の俺が後悔のもとに流した血が時を越えて、阻止の意味を込めて今の俺の足元を染めているのではないかと…でもそんなものはちょっとした思い込みに過ぎないさ、未来に後悔があるのなら俺は今の俺のまま生きてきはしなかっただろう、誰かと同じように思い直して堅実に努めてきただろうさ、それを選択しなかったからこそ今ここにこの俺が居るのだ―そんなことがなんになるのだ、と、時折誰かが俺に尋ねる、あるものは本当に不思議だという顔をして、またあるものは鼻で笑いながら…彼らはそれが本当にどういうものなのかということについて考えてみたことがないのだ、ただただ誰かのいうままに人生を塗り固めることが美徳だと信じている…俺は誰にも俺のことを説明したりなどしない、そんなもの絶対に理解出来るわけがないからだ、もちろん誰の説明も聞きたくはない、俺に出来るのはなんとなく理解したという素振りくらいだからだ…巨大な手で捻られているかのような景色の中で俺は考えている―これはどこから生じるものなのだろうかと―俺は歪みの中を生きている、このところずっとだ、歪みの中を生きることを強いられている、そのなかでずっと…目の前を通り過ぎるものたちを眺めている、あるものを笑い、あるものを哀れに思いながら…そしてそれは時々は、洗面台の鏡の中にいる自分の像だったりする、三半規管は正常に機能することをどこかで諦めたらしい、冷汗が吹き出し…心臓が激しくノッキングする、壊れているのだ、いつかどこかで…眼球はぐるぐると彷徨う、失神した誰かの目玉みたいに…何を見つめようとしているのか?それがどんなものであれ厄介なものには違いないだろう―この前、何人もの人間が飛び降りた巨大な橋の袂に行ったよ、それはちょっとした偶然のようなものだったんだけど…橋の上からたくさんの終わった者たちの意識が薄い布のように風に舞いながら下りてきてまとわりつくんだ、始め俺はどうしてそんなものがまとわりつくのか判らなかった、巨大な橋桁が目に付いたところで初めて理解したんだ、それはそこから降って来る終わった者たちの意識なのだということに…終わった者たちの意識、終わった者たちの意識、終わった者たちの意識は、俺が感じることによって生きているみたいに思える、でもそれは、果たしてこの世界に属するものなのだろうか?俺にはどんな答えも出すことは出来なかった、ただ少しの間佇んで、そいつらが速度のない蝙蝠のようにふわふわと舞っているのを眺めていたのさ…橋のすぐそばには広い公園があるが、その中心部は浮浪者たちのテントで占拠されている、ちょっとしたアパートメントのようなものになっているのさ、時折そこに暮らしているやつらがうろうろと出歩いているのを見かけることがある、あんな暮らしのなにが楽しいのだろうかと俺は考える、俺には一日たりとも耐えられそうにない、投げ出した楽しさだけがある暮らし…群れて、騒ぐことでまるで幸せであるかのように錯覚するかのような…暮らし―そうさ、俺が何を言いたいのか判るだろう、それはテントの中だけに限ったことではないのさ、それはテントの中だけに限ったことでは…水準が上がったところで、根幹が失われているのならどんなレベルにいたって同じことなんだ、だってそうだろ、そうじゃなければ、イズムさえ定義出来るならどんなことをしたって構わないんだってことになる、俺はそんな甘っちょろいものにはどんな興味を抱くことも出来ない―ならば俺が望むものはなんなんだ、と俺は考える、考える必要などないのだ、本当は―考えることが大事なのではない、それがどんなものでもいい、追い求めることが必要なのだ…具体性など決して求める必要はない、的が見えていようが見えていまいが、正しい方向に放った矢はきちんと真ん中を射抜くものさ…知ることなんかそれが当たってからで構わないんだ、欲しいものに名前をつける必要なんかない、大事なのはどこを狙えばいいのかってことを判っているかどうかなんだ―そう、どうしてこんなものを書いているのだろうか?もういいと思えるまで、どうしてこの文章は続くのだろうか?俺はこの連なりの意味を把握しているだろうか―?そう、つまり、把握してはいないが知っている、そういうことさ…どんなに細工をこうじたって、水は流れやすい方向にしか流れていかないものさ、塞き止めないことが大事なんだ、こうしなければならないなんて、余計なこだわりを持って、流れをせき止めたりしないようにしなければ…真剣さと自由さを持ってすべてを進めることさ、それが一番大事なことなんだ、考えることなくぶちまけて、流れる先を見送ることが…歪みは生じた、俺は歪みの中で生きている、水は流れていく、それがどんなものでも、どこかに進んでいることが判るなら俺はゆっくりとその先を眺めているだろう…。




自由詩 俺の今生という名の道標 Copyright ホロウ・シカエルボク 2014-03-30 23:49:30
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