母と消火器 など四編
クナリ
<イーゼル・ベーカリ>
イーゼルを看板代わりにした
街角のベーカリは通勤路
本日のメニューと季節限定
チョークは今日も鮮やかで
意外と個性の出るもので
あの人と彼女と彼と彼
誰が書いたのかってくらい
毎朝見てればすぐ分かる
たいていあの人が書くけれど
お休みしてれば他の人
あの人がイーゼルを飾った日には
私の昼食がパンになる。
<町の階段>
階段は、上るのがいい
上った先に何があるのか、見えないのがいい
もしかしたら、何もないのかもしれない
もしかしたら、そこは世界で一番高いところかもしれない
世界の先っぽかもしれない
その先に何もないかもしれない
何があっても不思議じゃない
上ってしまうまで、誰にも決められない
上ってしまうまで、他のどこにも行けない
もしかしたら、ようやく僕がいるかもしれない。
<耳>
耳を貸して
入りたいの。
<母と消火器>
今思えば、なぜあんなものが家の中にあったのか
おそらく、だまされて買わされたんじゃないだろうか
よく、そういう詐欺のニュースを見るから
赤くて重い消火器を
部屋の隅に立つ、意外に重いやつを
よく横倒しにして
ぐわんぐわんと音を立てた
なぜそんなことをしょっちゅうするのかと
そんなことをして何が楽しいのかと
何回倒した後にも
同じように叱っては
また元通りに直される消火器
もう倒したりしない
元に戻してくれる人が
もういないから
そんなことをして何が楽しいのかって
こんなにも楽しいことは他にないでしょう
あなたがいたのだから。