けたたましい静寂の始まり
ホロウ・シカエルボク






短い眠りのあとで生まれる叫びのように、日常に根ざした狂った思考と実行、猛スピードで走り抜けるトンネルの内部のような…いくつのことを見落としていくつのことを留めることが出来たのかなんてもう分からない、ただただまともな歪さを持ったおれが蛍火のような春の太陽の下でぼんやりと立ち尽くしている、いま出来るすべてのことは指先にあるだけのものしかなく、だけど…知らないふりをしているにはあまりにもしんどい確信だった、時が当たり前に流れてゆくものなら、命が当たり前に流れていくものなら…!配列を組み替える、正しくても誤っていても構わない、とにかくいつまでも同じものでなければどんなものでも…配列それ自体には大した意味などないはずだ、正解はあらかじめ用意された形式などではない、それは必ず変化の先にあるひとつのポイントだ、それを見極めるためにはすべての状態に反応出来るものでなければならない、おれはなんだ?おれはどんなものだ…?変化を必要としているか?変化の重要性を認識しているか?完成系など存在しない、節目節目に認識すべき状態があるだけだ、それはなにも思いのままにはならない、それはなにも思いのままにはならない―変化することに思惑など何の意味もない、分かるかい?それはこちらからはどんな手も加えることは出来ない、無数の出来事がいっぺんに始まる、無数の出来事がいっぺんに始まり、進行していく、繁殖した癌細胞が体内のあちこちで成長と繁殖を繰り返すようにさ…それが出来事というものだ、それは宿命やタイミングや、その他の諸々な要因によって認識出来るものと出来ないものに分かれる、もちろんそれは一秒たりとも同じバランスを保ってはいない、トンネルの中を猛スピードで走り抜けているみたいにさ!五感に訴えかけてきたものだけが蓄積していく、急ぐことはない…すぐに理解出来るものに大した意味なんかないのだ、じっくりと呼吸しながらそれが馴染んでくるのを待っていればいい、そうすればおのずと見えてくるものがある、真実は決定出来ない、いいか?真実は決定出来ない、決定は終点を意味する、終点に辿り着いてはならない、それは決定されるべきものではない、一時停止のままで残り時間を浪費するつもりが無いのなら―分かるか?決定しないのならそこに疑問は生まれない、そこに疑問が生まれないということはどういうことだ?現象としてすべてをいったん受け入れることが出来るということだ、美味い不味いに関わらずいったん飲み込んで、それがどういうものかと知ることが出来る、そういうことだ…何を望んでいる?どんなものを望んでいる?それは本物の欲望とリンクしていると思うか?これが分かるか?そこには疑問が生まれることは無い、それは本当の欲望とリンクしているのか―?蛍火のような春の太陽の下でぼんやりと立っている、薄汚れながら…空の遠くからはずっと先の雨のにおいがする、雨が降るのかもしれない、そう思ったときにはもう濡れているのだ、そういうものが真実だ、考えてごらん、傘を差せば雨は忘れられるか?屋根の下に居れば雨は忘れられるか?完全に音をシャットアウト出来る部屋の中に居れば、雨は忘れられるか?答えなど考えるまでもないはずだ―限定しなければアウトラインは存在しない、その領域ではすべてが真実になる、それはあらゆるものを語ることが出来る、それはあらゆるものに形を変えることが出来る、あらゆるものであり、またあらゆるものに成り得ない、おれは立ち尽くしている、それがすべてだろう、おれは…激しく吹きつける風があり、肌を掠めながら通り過ぎていくエンジンがある、そして、一秒たりとも同じ場所に留まっては居ない、何の為に?変化のためにだ、移動していくのだ、変化し続けるために…もっとも、そこに存在する連中のどれだけがそのことに自覚的なのかは分からないが…どちらにしてもおれには必要のないことに違いない、頬を変化がかすめてゆく速度、ぶっ飛んで…だからおれはそれを残そうとする、取るに足らないほんの一瞬の記録として、ここに残そうとする、文字列が変化していく、感情が、感覚が変化していく、おれが変化していく、ぶっ飛んで…ぶっ飛んでいるんだ、それはぶっ飛んでいて、そのせいでひどく静かな感じがする、遮られることがないからだ、それは遮断出来ない、雨のように遮断出来ない、ぶっ飛んでいく、すべてに真実がある、嘘も本当もない、ただただ自動的にセレクトされて飲み込まれていく、けたたましい静寂の始まり、おれはあらゆる感覚であり、またどんなものでもなかった、けたたましい静寂の始まり、狂っているが正常でもある…。





自由詩 けたたましい静寂の始まり Copyright ホロウ・シカエルボク 2014-03-17 22:34:04
notebook Home