春の夢
碓氷青
はるか。冬の寒さがじんわりと溶けだして、あるような、ないような、暖かな風がからだに沁みる。花園の傍らにある小屋に住まう<彼>は、春が空に色づきはじめた頃に、まるで冬眠から目覚めた獣のように出て来て、薪をこしらえる。<彼>は暖炉のぶんの木を切り終えるやいなや、一年も前に咲かせた花が残した種子の入った袋を小脇に、園に出た。一つの冬を耐えきった園はどことなくやつれた様子が否めなくて、<彼>は園の土をしわだらけの手に一杯にすくって、よく頑張ったな、ありがとう、と声をかけた。土にこころはないけれども、その声は空に土にあった見えないこころを揺蕩わせるように、響いた。土がおどる。<彼>は小脇の袋の中に手をつっ込んで、五六粒の種子を掴み取ると、それらを空へ、飛ばせた。種子は春の空をチョウのように舞い、刹那には土に眠った。<彼>はもう一度、袋に手をつっ込んで、種子を掴み、飛び立たせた。彼らは刹那に空を舞って、土に眠った。そうやって、<彼>の袋にあった百粒くらいの種子はみんな空を舞い、土に眠った。そして、彼らは揺蕩ったこころにまたこころを繋ぎ合わせるようにして、芽吹き、背伸びして、春を咲かせる。
芽吹いた、背伸びした、春を咲かせた彼らは美しかった。その美しさをいちばん知っていたのはチョウだった。パレットの上でまぜた白色と黄色のような色と、ボクラにはつくりだせない黒色が滲んだ翅を浮かばせながら、何匹ものチョウは彼らの上をぐるぐると回る。そうやってチョウは彼らの上を回って、美しい彼らのこころを繋ぎ合わせる。こころの繋ぎを喜んだ種子は、チョウにありがとうと伝えると、すべてを終えたとさとって、また土に眠ろうとする。このときに眠ろうとする彼らは色を失い、背伸びをやめて、静かになる。ボクラは知らないが、このときの美しさをいちばん知っているのも、チョウだった。チョウはどういたしまして、とは言わない。少しずつ、少しずつボロボロになっていく翅をおもいきり浮かべて、またどこかで眠ろうとする種子のこころを繋ぎ合わせようとするのだ。だけど、こころを繋ぎ合わせるチョウも、少し頑張りすぎると、空にこころを残して、ぽたっと、園におちてしまう。種子たちはチョウの消失を知らずに、こころの繋ぎをユメミル。
夢見た種子は夢心地の中で、こころを揺蕩わせたままに消失することがある。チョウが届かなかったときである。そのとき、<彼>は夢心地に消えた彼らを抱えて、また一つの生命(種子)をいただく。いただいた生命(種子)は、彼らの故郷の袋の中へと横にされる。
そうやって、時計の針が何百回としないうちに、<彼>の小さな、小さなはるの夢は終わる。<彼>は空に浮かんだこころを見つめた。ユメハカナイ、<彼>は春の空にそんな言ノ葉をもたげて、眠った。