3月11日
こひもともひこ
◇御用学者
原子力発電所は火
原子力発電所は火暴
原子力発電所は爆発
原子力発電所は爆発し
原子力発電所は爆発しま
タダチニ影響はありません
タダチニ原子力発電所は火
タダチニ原子力発電所は火暴
タダチニ原子力発電所は爆発
タダチニ原子力発電所は爆発し
タダチニ原子力発電所は爆発しま
タダチニしませんはありません
タダチニ原子力発電所はしません火
タダチニ原子力発電所はしません火暴
タダチニ原子力発電所はしません爆発
タダチニ原子力発電所はしません爆発し
タダチニ原子力発電所はしません爆発しま
タダチニ原子力発電所はしませんはありません
◇
2011年3月11日に起きた東日本大震災により、以前と以降とで印象が変わったことがある。それは、テレビをはじめとするマスメディアのデタラメさだ。客観的な報道なんていうものは存在せず、マスメディアが、どれだけ自分たちの都合のいいように報道してきたのかがつまびらかになったといってもいい。そして、自分たちにとって都合の悪いことは、一切報道しないこともよくわかった。
震災当時に書いた私のミクシー日記には、正しい情報の使い方をしていた二人の人物を取り上げている。
◇スバヤサ
震災が起こってから今日までに、行動を起こすスピードの大切さについて、二人の人物に驚かされ、そして学ぶことができました。一人はホリエモンこと堀江貴文氏です。
私が入手した震災情報はツイッターから見つけたものばかりなのですが、中でも有効な情報をいち早く流していたのが堀江氏でした。その情報収集の早さにも驚いたものの、感心してしまったのは行動の早さです。震災が起こった次の日には震災基金でのチャレンジを立ち上げ、自身も100万円の寄付をし(現在6千万円を集めている)、その後は、人探し・炊き出し場所・原発関連情報などの役に立つ情報を掲示し、さらには救援物資の搬送も行いました。正確な日付は忘れましたが、たぶん21日の祝日前後だったと思います。震災から10日。ここまでで、個人としてできる(以上の)ことは終わらせています。
もう一人は大前研一氏です。東京都知事選に出馬したことのあるほどの人物ですが、私はこの方を知りませんでした。この人に感心したのは、私が何度かつぶやきで紹介したYou Tubeでの発言内容です。最初の映像は13日。震災から二日後の放送なのですが、この時点で、福島原発ではどういう事故が起こったのか? という、推測に基づいた、わかりやすい解説をしています(推測した通りの事故でした)。さらに、福島原発事故はスリーマイル以上のレベル6になるということ、廃炉になること、そして今後の日本(および世界)の原発事情では、新原発炉の建設は不可能になるだろうことを予言しています。大前氏は現場に行ったわけではなく、東電からの情報が入っているわけでもありません。 一時間少しあるこの動画のおかけで、テレビでたらたらと流し続けられているものの、結局どういうことが起こったのかがわからない解説を見る必要のないことがわかりました。 自分の知らない物事を、ある程度きちんと理解したいのであれば、優れた講師の授業を一時間程度みっちりと聞くのが一番効率がいい。
二人ともクセのある人物ですが、情報をすばやく収集し、集めた情報を正しく判断し、断言を避けないはっきりとした物言いをしている。参考になることが沢山ありました。
◆
あのときテレビに出ていた御用学者たちはいまどうしているのだろう?
◇鎮魂歌
瓦礫
ガレキ
餓轢
風が吹いている
日常は返らず
実情は翻らず
想い人帰らず
瓦礫が恐ろしいわけではない
そこで奪われた生命と
共に積み重ねた暮らしが
元には戻らないことが恐ろしい
残骸
ザンガイ
惨害
腐臭が主張する
船舶は陸に上がり
自動車は動かぬゴミ
生命は土へ戻り
残骸が悲しいわけではない
そこに埋もれた肉体と
共に歩き目にした街並が
元には戻らないことが悲しい
悲しみ
カナシミ
哀しみ
すべては泥にまみれ
泥の中へ静けさを
泥の中へ安らぎを
泥の中へ鎮魂歌を送る
◇msn産経ニュース
「早く高台に避難してください」−。津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。命を救われた町民や避難住民は、最後まで職務を全うした未希さんの死を悼んだ。
◇
自分が同じ状況になったときに、彼女と同様の行動ができるだろうか?
◆嘔吐
何を書いても虚しい言葉に感じるから
俺は書こう幸せであると
何を書いても嘘くさい言葉に感じるから
俺は書こう女を買いに行くと
俺の家は建っている
嫌いな食い物はゴミ箱に捨てる
友人に心無い言葉を投げつける
ガソリンを使いまくってドライブする
部屋の温度は暑いほど上げる
歯を磨いている最中に水道など止めない
少し汚れた毛布を夜中にひと気のない通りにほり捨てて
涙を流すフリして笑みを浮かべ逃げていく
もうしませーん
ゆるしてくださーい
お前らの悲劇など知ったことではない
俺は書こう幸せであると
お前らの非日常など俺が知る必要はない
俺は書こう女を買いに行くと
マクドナルドで食いきれぬほど食い物を買って
肥満を気にして口に入れた後で便所に吐き出す
死ねばよかったのにいっそのことすべての他人が
全てが更地になれば誰も心痛めず新たな開発ができるだろう
醜悪か?
俺が醜悪か?
これらの言葉が醜悪か?
醜悪だと感じたのなら俺の言葉には力があるということだ! いいものが書けた! ひとの心を揺さぶるものが書けた!
◇偽善
『やらない善よりやる偽善』という言い方がありますが、私はこの言葉を見るたびに「なんだかなあ・・・」と感じてしまいます。善・悪というのは、時代(人)によって簡単に変わってしまうものです。例えば、つい200年ほど前の時代では、多くの国の女性は処女性が重大事とされていて、結婚前に性行為をしていた場合、売春婦扱いされていたことは、別段珍しいことではありませんでした。これは、結婚するまでの女性は処女でないと悪だということです。ですが現在では、女性の処女性にこのような基準を当てている国はほとんどありません。善悪とは、かようにエーカゲンなものです。
3月11日に起こった東日本大震災の被害映像を見ていて、個人の力とはなんと微力なものか、と感じた方は多いと思います。ジャンプ漫画の悟空やルフィーがいれば、現地に行っている自衛隊5000人分くらいの働きはするでしょう(その前に、津波自体をどうにかできるでしょう)が、現実世界では、個人の力なんてものは、誰にせよ微々たるものでしかありません。世界一強い男だろうと、イチロー選手だろうと、現地で手助けできるのは一人分でしかない。そこに善悪などが入り込む隙間はありません。
人間にはどうしようもない力と対面したとき、個人の能力などは小魚と変わらぬものでしかありません。今回の大津波に呑まれた場合、どんなに意地になろうが神を呪おうが、そばにいた大切な人を助けられなかった人だっていたはずです。それは悲劇です。そういう悲劇に遭った人がいることがわかったとき、そしてその悲劇が自分の上にも圧し掛かってくることがあると知ったとき、“わたし”はどういう行動をとるべきなのか。
『やらない善よりやる偽善』という考え方は、平時ならば一個人の自由な考え方で済むことですが、そんな自由思想はコップ一杯の水の役目すらもはたさない。水や食い物は、思慮を重ねた哲学から産まれるものではありません。「なにもやれないしやりたくない」というのであれば、黙って日常を生きていけばよろしい。
◇SOS ウルトラ
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはどうやら
3分間しか物事を覚えていられないようなんだ
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはまったく
3分間ですべてを忘れてしまうようなんだ
大地震の昼に
怪獣が街を破壊するショッキングな映像が不謹慎になったとさ。
震災の夜に
血を流し涙に暮れる子供たちの映像が必要になったとさ。
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはどうやら
道徳というものを忘れ去ってしまったようなんだ
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはまったく
他人の痛みを感じる想像力がなくなってしまったようなんだ
原子力の朝に
安全な食品を買う人から「放射能の心配は全くない」と通達を受けたとさ。
振り返った悲劇に
「天罰が下ったんだ愚かな民衆に」と発言する首長が都心に住んでいたとさ。
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはどうやら
3分間で物事は解決すると思うようになったんだ
SOS M78星雲
SOS 光の国
ぼくたちはまったく
3分間で片付かないのはあなたのせいだと思うようになったんだ
ウルトラのひとよ
◇ARIGATOから
杉様こと杉良太郎氏は慈善家として有名です。その杉様が「たけしの誰でもピカソ」に出演したときに、ボランティア・慈善活動の心得を話していたことがあります。ずいぶん前のことなので正確な引用は出来ませんが、「災害に遭った人たちを援助・支援する人間は、『ありがとう』という言葉を貰おうと思うべきではない」というような内容でした。さらに、これは私が受けた印象としてですが、「『ありがとう』と言われることを求める人間は、ボランティアなどするべきではない」という意味も込められているように感じました。ボランティアとは、見返りを期待してする行為ではないので、これは正しい意見でしょう。しかし、この考え方に噛み付く人も存在します。いわく「感謝の言葉くらい、かけて当たり前でしょう」といった意見。しかしそれは『援助される側』の問題であり、『援助する側』の心意気とは分けて考えるべきことです。
「ボランティアは無償のおこないだから、感謝の言葉を貰おうとするべきではない」というのは、多くの人が考えたことのあるテーマだと思うのですが、私は最近になって、この内容には、それとは違う意味も含まれているのではないかと思うようになりました。
猫と猿は、特に毛づくろいが好きな動物ですが、この「毛づくろい」という行為を人間が考えるときには、次のように理由づけする癖がついていないでしょうか。
猿が、他の猿の毛づくろいをするのは、
1・ボスやメスに気に入られるため。
2・うまそうな食べ物を分けてもらおうとするため。
3・自分も毛づくろいをしてもらうため。
奉仕することにより報酬を貰う「ギブ&テイク」という捉え方は、間違った考えではありませんし、自然の中にも見受けられるものではあるのですが、はたして理由は本当にそれ『だけ』なのか? 奉仕するというおこない自体が、自分(脳)への報酬となっていることがあるのではないか?
You Tubeで猫の毛づくろい映像を見ていると、やたらと他猫の毛づくろいをやりたがる猫がいることに気がつきます(他動物の場合もある)。これをギブ&テイクに当てはめると、この猫は、自分が毛づくろいをしてもらうのが大好きだから、毛づくろいをしてもらうために必死になって他猫の毛づくろいをしている、となるのですが、そういう風には見受けられない。ただ単に、相手を毛づくろいすることに気持ちよさを見出しているように見える。 相手が心地よさそうになることを“やる”ことが気持ちいい。
子供を産んだ人なら経験があると思うのですが、乳児が泣きだすと不安を感じて、赤子を抱き上げて優しく揺すりながら背中をトントンとたたいてあげる。すると赤子は泣き止み、母の胸の中で安心して眠りにつく。そのとき、自分の胸の辺りに、なんとも言いようのない気持ちよさを感じたことはないでしょうか。心臓が震えるような快感。自分以外の存在に、安心を与えたり喜びを与えたりすることによって、自分も幸福を感じる。私は、30歳の頃につき合った女性のおかげで、この快感を知ることができました。と、なにやら宗教臭くなってしまった気もしますが、相手を気持ちよくさせること自体が己の報酬になるというのは、セックスを考えると理解しやすいことでしょう。これを慈善活動に当てはめて考えると、ボランティアを“やる”こと自体が報酬なのだから、援助された人たちが「ありがとう」を言わないからといって苦い顔をするのは間違いだということがわかります。
もちろん、「ありがとう」を言われれば嬉しいことだし、その言葉はやりがいを生む力があるので、被災者が「ありがとう」を言ってくれると、そこには新しい力が生まれます。でもそれはボーナスのようなものとして捉えるのが、正しいボランティア精神なのでしょう。
だからこそ、ふいに現われる「ありがとう」が、こんなにも人の心を揺さぶる。
◆毎日新聞ニュース
東日本大震災の人道支援に当たった米軍の「トモダチ作戦」指揮官、ロバート・トス米空軍大佐が15日、当地の報道陣と電話会見。「津波による破壊と荒廃は想像を絶した」と振り返る一方、今月3日に最後に向かった仙台空港の上空から、滑走路近くの海岸に折れた樹木で組まれた「ARIGATO(ありがとう)」の文字を見つけ、「こちらこそ日本の人々に感謝したい」と語った。
木の文字は地元自治体関係者によるもので、津波で折れた松の枝などが使われたという。トス大佐は「被災者を含む日本の人々が懸命に国を復興させようとしている姿に深く感動した」と述べた。
トス大佐は米空軍嘉手納基地(沖縄県)353特殊部隊所属。震災当日の3月11日、韓国で合同演習中だった同部隊は急きょ横田基地(東京)に戻り、被災地へ。浸水していた仙台空港を「救援物資の輸送拠点として最優先で復旧すべきだ」と判断したという。
日米当局間で協議・調整後、同16日に大型輸送機の離着陸を可能にし、燃料や水・食料の大量輸送が本格化。以後約3週間で、米陸軍部隊など約270人が復旧作業に従事、救援物資約1140トンと燃料約5万7000リットルが仙台空港経由で被災地に搬入された。
仙台空港の管制業務は今月1日に日本側に引き継がれ、同13日には旅客便が再開。トス大佐は「日本人の力強さは将来に希望を与えてくれる」と強調した。
◇傷
小さな傷は完全に治る
大きな傷は跡を残しつつも治っていく
何のために治るのか?
理由なくただそうなるだけだというのであれば
千切れた指が生えてもよさそうなもの
だがそれは修復されない
生きるために必要な分だけ再生する
理屈ではなく事実として
今日も死に
明日に生まれ
変わる
◇武者小路実篤『父と姉の死』より抜粋
生きたくつても
生きられなかつた
生命
それはたゞ消えてゆくものか
何か生きのこつた人の
生命にのりうつるものはないか。
自分は
自分の内に
死んだ人の生命を感じる、
生きられなかつた人の
生命を感じる
人類は
生きたくつて生きたくつて
しかも生きられなかつた、
多くの生命をもつてゐる。
その生命は
いつか生きる時は
来ないものか。
あふれたがり
あふれたがる
泉のやうに
いつか
地のかたい表面を、
つらぬいて
あふれ出るものではないか。
自分は
死んだ父や姉を思ふ時
自分の生命が
更に生きたがることを感じる。
生きたくつて生きられなかつた生命の
重なりよ
この地上に
あふれ出でよ。
自分はその時を
待つてゐるのだ。
◇◇◇◆
◇御用学者−2011年11月4日mixi日記に書いた詩を手直ししたもの。
◇2014年3月11日の私が考えたこと。
◇スバヤサ−2011年3月30日のミクシー日記より(少し手直しして)。
◆2014年3月11日の私が考えた皮肉。
◇鎮魂歌−2011年5月2日mixi日記に書いた詩『泥の中へ』を手直ししたもの。
◇msn産経ニュース(2011年5月3日)より引用−鎮魂歌は彼女に捧げた作品。
◇2014年3月11日の私が考えた勇気。
◆嘔吐−2011年3月19日mixi日記に書いた詩を手直ししたもの。
◇偽善−2011年3月14日のミクシー日記より(少し手直しして)。
◇SOS ウルトラ−2011年3月21日mixi日記に書いた詩を手直ししたもの。
◇ARIGATOから−2011年4月17日のミクシー日記より(少し手直しして)。
◆毎日新聞ニュース(2011年4月16日)より引用。
◇傷−2009年8月5日mixi日記に書いた詩を手直ししたもの。
◇武者小路実篤『父と姉の死より』の後半を抜き出したもの。
◇
以上。
引用したニュースの文章は、mixi内で取り上げたものは閲覧期間が終わっていたので、改めてネット内で探したものを使った。
最後の二つ以外は全て、震災に関する作品・日記として書いたものである。
◆