Tシャツのこと
村田 活彦
1.
きみはTシャツを着ている
Tシャツの下に素肌がある
素肌の下に血管と神経とリンパがある
きみはTシャツが似合う
きみのTシャツに顔をうずめる
今日いちにちの日差しの匂いがする
コットンの手触りを抱き寄せ
タグから背骨へコトコトたどる
ぼくはTシャツを語る
「Tシャツは元々アメリカ海軍の標準アンダーウェアなんだって
第二次世界大戦のあと一般に普及したんだって」
少し間をおいてきみは
「戦争は嫌い」とだけ答える
2.
LOVE&PEACE、STOP AIDS、I LOVE NY
デモ隊の先頭でTシャツは声を上げてきた
スローガンやプロパガンダをTシャツにあずけて
人々は次第に黙りがちになった
チェ・ゲバラ、アインシュタイン、マリリン・モンロー
20世紀の有名人はみんなTシャツになった
拝啓、アンディ・ウォーホル
21世紀には誰をシルクスクリーンにすればいいですか
15秒たてば誰もが忘れてしまう時代に
開襟シャツを着たままで
その下のTシャツを脱ぐことができるか
この数学的命題に生涯をささげること
人類の栄光と文明の発展とはつまりそういうことだ
3.
ぼくはTシャツを脱ぐ
それを真夜中の洗濯機に放り込む
Tシャツが泡の渦にしずんで
夏の記憶がほつほつ浮かびあがる
あのひとの部屋はあのひとの匂いがした
ガラス戸越しにTシャツがゆれていた
ぼくの知らない誰かのTシャツ
あのひとはぼくの頭をくしゃくしゃなでて
カーテンを引き写真をふせ目を閉じた
いまは着るひとのないTシャツが
衣装ケースの奥に眠っている
大掃除のボロ布にするはずだったのに
ハサミを入れないままたたんである
ぼくはTシャツに着がえる
頭からかぶったうす暗い穴から
洗剤の香りのこの世界をうかがっている
4.
ジャングルで兵士はひとり息を殺していた
敵の靴音がそこまで迫っていた
Tシャツを脱いで木の枝に結んで白旗を作り
羊歯の茂みから一歩踏み出した
ふるさとの綿畑で兵士の母親は腰を伸ばした
Tシャツの袖で額をぬぐった
ふと呼ばれた気がして空を仰ぐけれど
そこには白い太陽があるだけだった
ヨーロッパの美しい石畳の街では
円形の広場に街中のTシャツが集められた
襟の高い服を着た男たちが火をつけた
もうもうと煙が立ちこめ誰もが咳をした
5.
Tシャツはポエムだ
まっさらな生地の上に
ひとは自分を表現したがる
くちにできない恋の歌は
Tシャツの裏側にこっそりプリントしよう
いつだって
脳は体に恋をしている
Tシャツを文字で埋めたがるのは
愛しい体を言葉でつなぎとめたい脳の仕業だ
本当は無地のままでいたいとTシャツはねがう
詩が沈黙にあこがれるように
6.
午前5時、ブルックリンの操車場で
少年はだぶだぶのTシャツを着てさけぶ
「ジーザスもビーナスもTシャツで踊りだす こいつがおれのフリージャズ」
給水塔から鳩たちが一斉に舞い上がる
午後8時、東西線の中で
少女はラグラン袖を着ておしゃべりをしている
黒地にピンクのバックプリントは
「Good Girls Go To Heaven,Bad Girls Go To Italy」と読める
飯田橋駅で少女は電車を降りる
その小さな島はちょうど真昼
人の気配はない
砂浜にロープが張られ
たくさんのTシャツがはためいている
にぎやかな万国旗のようにも見えるし
賽の河原の風ぐるまのようにも見える
7.
きみはTシャツを着ている
Tシャツをパジャマにして眠っている
Tシャツの下に素肌がある
素肌とTシャツのあいだには何もない
ぼくはTシャツを着る
頭からかぶったうす暗い穴を抜けて
この世界におそるおそる顔を出す