とりとめもないものは
ホロウ・シカエルボク






とりとめもないものは
落葉に埋れたもう書けなくなった詩人の詩
ズタズタになった絵描きの指
潰れた歌うたいの肺
断裂した走者の腱


バルコニーに
数日前に行方知れずの
十五の少女の死体
叫んだように緩んだ顎は
強張って
凍てついて


鎮魂歌の予約は
もう少し先に
この場所を
訪れるものは
もう
ほとんどない


欠けた硝子、ひと思いに割って、気に留めなくていいように、今すぐ、ひと思いに、砕けて散らばったものを、粉微塵に踏み潰して、足を傷めることなんか気にしないで、したいこととするべきことを、そう、間違えないようにして、一度間違ってしまったものは、取り繕ってもそれまでとは同じにはならないものだから


青い空を飛ぶ一羽の鳩が
バルコニーの少女を見つける
飛びついて啄ばみ出すと
どこからか仲間が集まる
柔らかな機銃掃射は
長い時間をかけて
少女の身体を蜂の巣にする
その光景はまるで
具現化された呪いにも似て
羽の音がとても長く
変拍子を生み出し続けていた
彼女はそこそこ骨になるまでそこに居て
死んでいると囁き続ける
どこかの関節が外れて
存在としての形式を保持できなくなるまで


踏みつけて粉になった硝子は集められるだけ集めて、遺灰のようにどこかへ撒いてください、祈りや弔いは微塵も必要はないから、ただただ集められるだけ集めて、遺灰のようにどこかへ撒いてください、美しい景色なんかじゃなくても構いません、果てしなく広がる海なんかじゃなくて…ただもうどこの誰にも踏まれないようなところならどこだって構わないのです


日付変更線前の人気のないとある堤防沿いの道を一人の女が歩いていた
それはバルコニーで力なく叫び続けている少女の母親
もともと少し精神を病んでいた彼女は可哀想に少女が居なくなってからすっかり壊れてしまって
夜毎少女の姿を探してあてもなくさまよい歩いていた
あの子はいったいどこに居るのだろう、どうして私のもとに帰ってきてくれないのだろうと思いながら夜通し歩き続けては
明方まるで見たこともない街角で
私はどうしてこんなところに居るのだろうと
乗物に乗って家に帰るのだった


硝子、硝子、硝子、硝子、硝子を踏み潰して、集めて、砂のように撒いて


少女の霊魂は自分の死体に重なるようにバルコニーに座っていた、膝を立てて
自分の居る場所はまるで見覚えのない場所だったし、どうしてそこに来て死んだのかもまったく思い出せなかった、誰かと一緒に来たのかもしれないし、たった一人で来たのかもしれなかった、死んだ自分の顔を見ながらずっと考え続けたけれどどうしても思い出せなかった、もう考えても仕方がないんだ、少女はそう思ってもう考えることをやめていた、あれはおそらく身体から抜け出して二度目の夜明けを見たころだった―自分の死体を眺めていることにももう飽き始めていた


オカリナの記憶だけが鮮やか
きちんとした陶器の
鮮やかな音がする水色のオカリナの記憶だけが


少女はバルコニーを離れた、閉じられた窓をすり抜けて建物の中に入った、ずいぶんと使われていないらしいソファーやテーブル、電球の入っていない傘だけのスタンド、年代もののおそらくつきはしないだろうテレビ、家具調仕立ての馬鹿でかいステレオなどがあり、そのすべてが致命的に埃をかぶっていた、おじいちゃんがこんなステレオ持ってたな、と少女は泳ぐようにそれに近付いた、レコードプレーヤーのターンテーブルの上にはレコードが乗ったままだった、じっと目凝らして見てみるとラベルにはベートーベンの英雄と書かれていた、えいゆう、と彼女は口を動かし、そこを離れて部屋を出た


埋もれた詩はそれでも綴られようとするだろうか
捨てられたカンヴァスは新しい色を求めるだろうか
なぞられない旋律は新しい声帯に擦り寄り
ままならぬ足はそれでも先へと踏み出すのだろうか


建物は美術館のように尊大な建築だった、ひとつひとつの柱は大きく、壁は厚く、天井は高く、そのすべてが墨のような黒で塗られていた、少女は廊下をうろつき、ドアを見つけると中に入ってみた、どの部屋にもほとんど同じものが置かれていた、最初に入った部屋で見たステレオ以外はほとんどが同じだった、二階には四つ、一階には二つの部屋があった、一階の部屋は二階の部屋よりも広く、誰かが使っているみたいに清潔で整頓されていた、他には浴室があり、台所があり、トイレがあり、玄関があり、裏口があった、書斎のような小さな部屋もあった、そこには使われている形跡がなかった


ねえ、詩を読んで
絵を描いて
歌をうたって
走って
ままならなくていいから
少しも
ままならなくていいから
たどたどしくって構わないから


私はおかしくなって死んでしまったのかもしれない、と、少女は考えた、きっと母親のように突然何もかも判らなくなって、そのせいでこんなところで死んでしまったんだ、と思った、そしてそれは、きっと真実だろうという気がした、建物の中をすべてうろついてしまうと、また、退屈になった、外に出ることも考えたけれど、まだそれは少し躊躇われた、自分の身体から余り離れてしまうのは、良くないような気がしたのだ、少女はバルコニーに戻ることにした、なんにしても死んでしまったことはありがたいことだ、と彼女は思っていた、もう母親のようになることを恐れることもないし、なにより少しも寒くないし、寂しくない―ふと、あることを思いついて、少女は浴室に行った、脱衣所の洗面台の前に立ち、鏡に自分が映っていないことを確かめると、楽しそうに笑った、ほんとうにそうなんだ、少女はそう思った


回転する円だけが
生きているわけじゃない


浴室からバルコニーに戻ろうと一階のロビーに出たとき、激鉄が上がるような音がして物々しい玄関の扉が開いた、少女は動きを止めてロビーに立っていた、すでに明けた朝の光に存分に包まれながら中に入ってきたのは、だらしないみすぼらしい服を着た自分の母親だった、少女は目を見開いた、一瞬ですべてを理解したのだ、母親には少女の姿は見えていないようだった、母親は何事かぶつぶつと呟いていた、まったくあの子は…もう寝なくては…いったいどうして……


娘は怒りにわなわなと震え始めた、力なく寝室へ引き篭もる母親の背中を見ながら、我を忘れて叫んだ
「あんた、なにしてるのよ!」
母親はまるで聞こえたみたいに一度動きを止めたが、それは少女の声とは関係がない、何か他の理由によるものだった、母親はため息をつきながら後ろ手で寝室のドアを閉めた




なにしてるのよ!









とりとめがない
とりとめもないものは……





自由詩 とりとめもないものは Copyright ホロウ・シカエルボク 2014-02-23 16:27:04
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