ふりだし
葉leaf



祖父は十月に亡くなった。肺がんだった。私は茶髪を黒く染め葬式に臨んだ。火葬が済み、家の墓に納骨する段になって、骨壺の入った箱を持った父は、「こんなに小さくなって」と悲痛な泣き声のような声を出した。その翌年の十月、今度は祖母が亡くなった。祖母が棺に入れられ、みんなで遺体を花で飾るときになって、従姉が急に泣き出した。涙が止まらないかのようだった。それらから十年経ち、兄は結婚した。結婚式で執り行われる厳粛な手続きの数々、そしてそれを堂々と実行する兄夫婦を見て、私は感激した。そして、翌年兄夫婦には赤ん坊が生まれた。父の喜びは言葉に尽くせないほどだったことが周りからも見て取れた。

これらの一連の出来事には全て生命がかかわっていた。生命は動かすことのできない定点のようなものであり、私たちはこういう出来事のたびにふりだしに戻るのだった。遍く存在する定点である生命というふりだしに。生命は極端に美しいと同時に極端に醜い。それは美醜の対立を超えた著しい強度を持っている。あらゆる互いに矛盾するものが、生命の中ではその矛盾のまま同居しており、それゆえ人は生命を衣服で隠そうとする。ちょうど自分の皮膚を衣服で飾るように。葬式も結婚式も出産祝いも、あらゆる儀式は生命を隠す衣服に過ぎない。だがそのような衣服で隠しても生命の威力によって私たちは激しく泣き笑い喜ぶのである。

生命というふりだしに私は今朝佇んでいる。私は今激しい恋をしているのだ。相手の欠点を挙げ立てたり、相手を憎んだり、そのような衣服でごまかそうとしても無駄なのだった。私の恋はふりだしで滾っている。そしてこの恋が失われるとき、再び私はこのふりだしで激しく泣いているだろう。



自由詩 ふりだし Copyright 葉leaf 2014-02-23 07:15:22
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