OMMADAWN
无
私は座っている。なぜなら私が、座っている自分自身の姿を心に思い描いているからだ。同様の理由で世界には雨が降り続いている。冷たい雨だ。人がその中に立てば数分で息絶えるほど無慈悲な雨だ。いつから降り始めていつまで降り続くのか。それは私の仕事ではないから分からない。分かりたくもない。ただ、少なくとも私がこの部屋から決して出られないように、この雨も私が世界を認識し続ける間は降り続けることだろう。かつて明日を信じていた子どもは、この薄汚れた鏡の中で飼い殺しの目に遭っている。ある雨の夜、雨垂れの音が永遠に続くことに気付いてしまった時から、私にとって明日という時間は降り続ける雨にすり替えられてしまったのだ。
(呆然とする私を彼らは映画館で観ている)
雨は部屋の中にいる私の身体も、情け容赦なく貫いていく。目に見えず、濡れることもないから普通なら気付かないだろう。そして気付いた時にはすべて手遅れだ。ほとんどの人たちの人生のように。私はたまたま気付いたが、気付いたことに何の意味や価値があるというのか。世界も私もこのまま何ひとつ変わることはない。まるで残酷な数式のように。鼻の奥で何かが焦げる臭いがする。カチャカチャという金属の音が、空耳という結論を先頭に鼓膜を震わせる。
(生まれて来なければ良かったと知るために生まれてきたという結論)
この部屋を訪れる者は滅多にいない。雨は決して止むことがないし、窓の外はガラスに付着しては私を嘲笑いながら流れ落ちる雨粒で歪められ、良く見ることができない。あるいは、すべての存在は最初から歪んでいるのかも知れない。そして窓ガラスだけが誠実なのかも。仮にそうだとしても、吐き出される解答に変わりはない。そんな私に分かることは世界がモノクロームだということくらいだ。この部屋や私自身と同じように。そこまで考えて、私はようやく自分が色彩を失ったことを思い出す。どうせ、またすぐに忘れてしまうだろうが。
(あるはずのない魚の声が聞こえる)
それでも、たまにノックの音がすることがある。雨音に混じった曖昧な音だったり、暴力的なほど大きな音だったりするが、私は決してドアを開けない。かつて私が彼女の部屋を叩き続けた時も、彼女は絶対にドアを開けてはくれなかった。それは正しい判断だったのだと今の私には理解できる。理解できるが、私は彼女を許すことができない。もしも許せたら、どんなに良いだろうか。だが、私にはどうしても手が届かない。それは私と神様との距離よりも遠い。
(視界の隅を鳥が横切っていく)
雨は今日も降り続ける。愛もなく色彩もなく音楽もないこの世界に。この部屋に。中にいる明日を持たない子どもに。私はたまに考えることがある。私のような囚人が世界中には無数にいるのではないかと。いや、この世界には互いの存在を認識することもできない囚人たちしかいないのではないだろうか。そんなことをぼんやりと考えている間にも、雨は私の脳細胞を引き剥がしていく。私は今、何を考えていたのだろう。彼女と一緒にあの家が燃えてしまった時のことか、それとも微妙に揺れ続ける海辺の景色か。雨が降っている。灰色の雨だ。世界に、この部屋に、私自身に降り続いている。この雨は、いつ止むのだろうか。私は待っている。すべてを忘れ果て、上昇と下降の区別もつかなくなり、残酷な平衡状態の中で、それでも私はずっと待っているのだ。決して訪れることのない、あの人を。
(あの人って?)