夜更けの紙相撲・2014.1.
そらの珊瑚

 2014年一月某日、娘が去年一年間ほぼ毎日日記を書いたと言う。「へーすごいね」と褒めたあと、中学生は毎日日記に記すような出来事があるんだろうとなかばうらやましくなって聞くと「そんなわけないじゃん。なんもない日だってあるよ。そういう日は〈今日は特に何もなかった〉と書くよ」だそうだ。

 ――特に何もなかった日。まさに私の毎日はそんなものだ。朝起きて朝食、弁当を作る。洗濯機を回す。みんなを送り出したあとNHKの朝ドラを観ながら一人ゆっくりと朝食を食べる。その朝食さえパンとコーヒー、時々グラノーラ、卵はあったりなかったり、ヨーグルトに家族が食べ残したりんごのかけらという代わり映えしないめにゅー。ぱぱっと家事を済ませて、そのあとはのんびり創作にいそしむ。
 小、中学生だった頃、日記を最後まで書いたことはなく、亜土ちゃんの(若い方は知らないかもしれないがその頃一世を風靡した水森亜土さんのイラストが大好きだった))鍵つきのラブリーな日記帳でさえ半分も書かないところで飽きてしまったっけ。
 そこまで書いてふと思う。2011年11月に現代詩フォーラムに入会してから毎日ではないものの詩を書く事は続けてきたと。食べ続けてきたし、いってらっしゃいを言い続けてきたし、心臓は動き続けている。
 特に何もなかった日はなんと幸せな日であるか。今年も残すところあと11ヶ月になったが、そんな日々がなるたけ長く続きますように。

 今、日テレの「明日ママがいない」という番組が養護施設にいる子どもへのいじめを助長する内容だ、けしからんと言って、赤ちゃんポストを作った病院や福祉関係の団体から抗議され、番組の打ち切りを求められていると言う。私は初回から見たが、これを観て施設の子へのいじめをするような子は、観なくたってもともとしていると思う。けしからんのはいじめる子だ。そして問題の矛先をすり替えている論理だ。
 そんな子は私が小学生の頃もいたし、きっと今だっている。(だからといってそれでいいというわけではないが)突き放すようだけど人間がある程度集まった社会ってそうじゃないかと思う。学校だけでなく職場だって地域のコミュニティだって。もしあの番組を観たことでそういったいじめが起きたならば、それはおかしいよと周りが言えるようにすることこそ大切なんではないかと思う。もちろん大多数の子どもはそうではないと思うのだが。

 「明日ママがいない」というタイトルを聞いて文法が不得手な私にも妙な違和感があった。
 明日に続く言葉、それは未来を表しているので普通は仮定であるべきなのに、今、断定しているからだと思う。(ユーミンのアルバムタイトル「昨晩お会いしましょう」はその逆で)例えば「明日ママがいなくなったら」であったら違和感はない。今いるものが明日ないものになる。
 ああ、これは覚悟を決めたタイトルであるなと感じた。その違和感は奇妙な後味を引く。

 芦田愛菜ちゃんはじめとした子役の子どもの演技力のすばらしさと置かれている境遇にへこまないで強く立ち向かっていこうとする姿に感動した。芦田愛菜ちゃん演じる女の子は「ポスト」というあだ名で呼ばれてるのだが、それは彼女が赤ちゃんポストに捨てられたことに由来する。そしてそう呼ばれることで、「それがどーした!」とあたかも彼女は返事しているような気がしてならない。
 月並みな言葉であるが、頑張ってほしいと思う。現実にそういった境遇に生きている子どもに、どうかくじけないでと。このテレビ番組を観ている人はそう思うのではないか。だから脚本の変更などしないでほしいと思う。

 あんたらはわるうない。
 わるいのはこどもすてたおやや。
 くさいものにふたしようとするおとなや。

 日記は元来筆者と読者が一緒(本人)というものであるが、これは誰かに読んでもらうことを想定した私の日記。一ヶ月に一度更新していければと思う。
 「相模ナンバー」は神奈川です。「湘南ナンバー」が出来る前からある老舗ブランドです。相模と相撲は似ているので「すもうナンバー」とも呼ばれておりました。それがどーした、なんですけども。
 夜更けに、吹けばとぶよな紙相撲の相手をしてくれるような酔狂な読者様、求ム! 
 お付き合いいただけたら幸いでっす。


散文(批評随筆小説等) 夜更けの紙相撲・2014.1. Copyright そらの珊瑚 2014-01-31 11:44:11
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