スケール
イナエ

ぼくはまだ生まれていなかったから知らないけれど
シーボルトさんはこどものお年玉に一両あげていたでしょうか

ぼくの祖母さんは裏藪で竹の皮を集めて
一厘とか五厘とか 子どもだったお父さんの小遣いを作ったと言う
でもぼくは厘など使ったことが無い
近所の菓子屋に十銭玉を持ってあめ玉買いに行ったけど…

シーボルトさん 
千両箱には小判が何枚入っていたのでしょうか
江戸時代に生まれた祖父さんは一円を一両と言っていたけれど
今の千円は小判より軽い一枚のペラペラの紙 
お年玉には幼い子だって三枚は入れないと…

となりにあった「銭湯」 
入湯料は○○円になっていたけれど「円湯」とは言わなかった
今でも両替は両替 円替ではないよ
両と円は違うようなのだ

ぼくが小学生の頃
日本では食料が少なくて配給制度になっていた
お米の配給は大人一日に二合五勺と決まっていた
国語の時間に習った宮沢賢治の詩
「一日玄米三合と・・・」とあった
級友が聞いた「一日三合って 贅沢ではないですか」
先生はお百姓さんはよく働くからねって教えてくれた

今その詩を読むと
「一日四合」とある 升が替わったのだろうか
ねえシーベルトさん
日本では基準が変わるんだよ

ぼくが子どもの頃
同じ三尺でも布地と杉板では長さが違った
鯨尺と曲(かね)尺が在って

今は
「一円を笑うものは一円に泣く」って言うよね
子どもの頃は一銭を笑うものは だった
祖父さんのころは一厘を笑うものは だったかも知れない
ぼくはまだ生まれていなかったから分からないけれど



自由詩 スケール Copyright イナエ 2014-01-30 22:11:13
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