朝がくるということ
草野春心



  蛇口は しばしば朝だった
  時折それは睡蓮だったし
  無口な背の低い青年だったのだが
  腰から下を火燵にしまいこんで あなたが
  丸っきり正気をなくしているときなどは
  ほかに行くあてもないという風でありながら
  その割に、悲しみは迷いなくここにやってきた
  それが、朝がくるということだ




自由詩 朝がくるということ Copyright 草野春心 2013-12-14 00:12:37
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短詩集