かみさまのガチャガチャ
一尾

 宗教が好きだ。しかしそれはあまり信仰とは関係のない場所で発芽した私の趣向で、ただ単に傍で見ていて面白いから好き、モチーフにされている世界観が美しくて好き、というものでしかない。世の中には数多くの宗教があるが、私は大抵何でも食べる。といって特別勉強熱心でもないから、各宗教の分かりやすく更に耽美さ溢れ情感が胸を刺すような「個人的においしい部位」だけをスプーンで掬っては口に入れている。キリスト教が謳う『神と人類との約束された終末』おいしい!(新約聖書ってなんだかエロいわあ、ユダがキリストを売りとばす合図が頬へのキスだなんて良いのかしら!) 密教が囁く『現世で肉体を持ちながら仏になるステップ』おいしい!(密教は独特の世界観があるわねニーチェの超人論みたい。そして曼荼羅って綺麗で好きよ、うふふ)
 私にとっての宗教はミスドで、私は目の前に用意された宗教の好きな部分をオレンジのお盆に並べる。見目可愛く、甘く柔らなドーナツ。信仰はないから真ん中は欠けたように空洞だ。
 しかし、無神論者なのかと言われるとそうでもない気がする。私は漠然とした「かみさま」のようなものを知っていて、ただ彼らはミスドには並んでいない。私の持ち得るかみさまは余り人間に関心がなく、片手間で世界を転がしては暇を潰しているような存在だ。
 画家のゴッホが弟のテオに向けた手紙でこういう部分がある。

『この世だけで神を判断してはいけないとだんだん思うようになってきた。世界は彼のしくじった試作なのだ。作者を愛していれば、失敗した習作でも――それほど非難せずに――黙っていられるだろう、そうじゃないか?』

 ゴッホも若干かみさまのやる気のなさに気付いていたと見える。というか信仰があれば尚、神がいるのにどうして多くの酷い物事が起こり得るのかと言うのは当然突き当たる疑問だろう。ゴッホは絵描きと言う自分の地盤から世界は習作と言う見方を捉えた。そうなれば寧ろ許してもらうのは私たちではなくかみさまの方なのでは、という逆説的解釈も現れるのではないか。ゴッホは優しいから作者を愛してあげるらしいが、私は根性が曲がっているからおいそれとは許してやれない気もする。

『ひとはみな生まれるまえにかみさまのまえでさんかいガチャガチャをひく』

という短歌を詠んだ。
 これは私の考える私だけの宗教のなかにある「ガチャガチャ論」から出て来たものだ。一時期よく「あの人は持ってる」「あの人は持ってない」という言葉が流行ったが、そういう持っている、持ってないという才能のようなもの、または生まれ落ちた環境や身体的特徴など私たちが止む無く付属品として付けられている個人の関与ではどうしようもない部分を、私はみんな生まれる前にガチャガチャでひいて来たのだろうと考えている。
 かみさまのガチャガチャ。
 歌では効果を高めるために三回としたが、本当は半日くらい掛けてガチャガチャするのではないだろうか。存在を与えられるに至って私たちは壁の白く塗られた狭い部屋に通され、冷たい床にぽつりと置かれてあるガチャガチャをひたすら回す。出てくる色とりどりのカプセル、カプセル、カプセル、カプセル。緩い曲線の中に守られているのは「天性」で、そこで私たちは才能や親や睫毛の本数などを決められ、生まれてくるのだ。
 世の中には理不尽なことが多い。そしてそれは大体自分ではどうしようもない事ばかりだ。そういうとき、私はこのガチャガチャ論に帰依して自分を慰めることにしている。「ガチャガチャでひいちゃったから仕様がないか」もしくは「ガチャガチャでひかなかったのだから仕様がないか」と。


 私自身人間としてはあまり出来が良くないというか、欠損が目立つ方だと思う。普通に生活を営むことに困難を感じる。普通のことを普通に出来ない。当たり前のものを当たり前の場所に落とせない。呼吸のリズムが常にどこかずれていて、私の吐き出す息はあらゆる場所にぶち当たり跳ね返り無茶苦茶な旋律を叩く。なぜこんなに五指がうまく動かないのだろうかと、首を傾げてばかりいる。
 そんな自分を見つめる時、私は生まれる前に部屋に残してきた赤や緑や黄色のプラスチックのカプセルのことを思う。空になったカプセルと、私に託されている幾らかの中身と。
 みな、カプセルを割って生まれて来たのだろう。
 そこに仕舞われていた燦然の、もしくは空虚な中身を持ってこの世に落され、そして漂って行くのだ。駄菓子屋の景品を抱えた子供のように路地をうろついて、走ったり泣いたりして死んでいく。時折キラキラ光る硝子石の付いた美しい指輪を手の中に発見しては、舌先で舐めてみて味を確かめる。ただそういうのが見つかるのは稀で、渋い味の球体ガムばかり気が付けば口に入っていることの方が多いのかもしれない。私たちはそれを咀嚼しながら渋いな、と思う。そして、いつか舐めた美しい石を思い出したり、これから手にするかもしれない半透明に震えるビーズの首飾りのことを空想する。
 生まれついてのあれやこれ。
 選べない不自由はそういう遊びの酷さとして、許すことにしている。


散文(批評随筆小説等) かみさまのガチャガチャ Copyright 一尾 2013-12-08 22:15:22
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