最後の紅
渡 ひろこ

やっと会えた母は、とても穏やかな顔をして眠っていた
真新しい白装束 解剖の痕跡も知らず
すでに身体は綺麗に浄められて
「コロっと死にたい」
いつもの口癖通り、突然の呆気ない最後だった

入浴中の脳梗塞 肺にいっぱい水が入り
蘇生の心臓マッサージにも
ぐにゃりと脱力した上半身を
揺らすだけだったという母は
「もういいから。向こうに逝かせて」
と願っていたのかもしれない

「焼いて灰にならなきゃ、治らない」
ことある度に、父の「我儘」という病を
そうやって自分に言い聞かせていた母
明治生まれの祖母に、長男というだけで
かしずかれて育った父と連れ添うのには
忍従より諦めの方が楽だったのだろう

そんな母のために、手を尽くした介護の環境も
娘としての人の道も、この「我儘」の前に翻されて
心ならずも会えなくなって一年
再会を果たした時には、母の方が焼かれてしまうとは…


苦渋の選択を強いられた月日は
ままならない痛みが破裂しないように
私の中でふくらむ黒い塊を
いつの間にか薄い皮膜で覆っていた


祭壇のろうそくの火が
長い大きい炎になって、ゆらゆら立ち昇る
「ママ、いま此処に来ているの?遅くなってごめんね」
不思議と心は無風で凪いでいた
母は望み通りに逝ったのだ
今頃どうしているのだろうと、もう思い悩むこともない
ついこの間、夢の中に風呂上がりの母が現れて
別れを告げにきてくれたからだろう
涙と懺悔で目覚めたその日から
なぜか覚悟は出来ていた


棺の中、すべてを赦したように目を閉じる母
小指でくちびるに、そっと最後の紅を差した








自由詩 最後の紅 Copyright 渡 ひろこ 2013-12-02 20:02:34
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