ちくちく
はるな


もうああいう風にはできないかなと言ったらそうなりそうなので口を閉じて笑った。友人は複雑な色合いの冬のコートを買った、よく似合っていた。
電車には、相変わらず知らない人がたくさんいる。知らないひとしかいない。眠りをたびたびはさんで日々が行くので記憶が一日ずつではない。断ち切れているしつながっている。
(断ち切れているしつながっている)
この家の(実家の)パソコンにはわたしのデータはほとんど残っていない。数枚写真があったそのうちの一枚に学生時代のわたしを友人が撮ったものがあった。床にうつぶせた裸のわたしの肩から上を写したものだ。それだけの写真だけどとても痛々しく素敵だった。わたしはきちんとそういうわたしを体現していたのだと思い、誇らしく、また、吐き気のする。
許すことはそんなにむつかしいことではない。許したいと思えばよい。ただし許したいと思えるかどうかは難しいことだ。それもたいへんに。どうしたらうまく許したいと思えるのかどうか、わたしはたくさんの経験や方法を試みたが、良い術はまだ見つからない。それに日によってもそれは成功したりしなかったりする。
わたしは傷のつくりを太く深いものからだんだんに細く浅いものにして、一日に二回だったものを二日に一回にして、そういうふうにしてだんだんにみためを変えていった。ほかのことについてもだいたい同じだ。じょじょに、少しずつ、からだに染み渡らせていく。そして季節に一度すればよいかしなくても良いかになったころ、その習慣は行動を超えてわたしになじんでいるというわけです。これが健全な方法であるとはわたしは思っていない、わたしは、悲しい。死はほんとうはそんなに良いものではないかもしれないけれど、わたしにとってはとても良い、いい匂いのする、親密な自然になった。わたしはわたしの周囲の、何人かの人々がそういうふうにはわたしを導きたくはなかったことを感じているので後ろめたい。ただしわたしは生きようとしてこのように進んだ。生きようとすることは考えれば考えるほど、ためしてみればためしてみるほど、死ぬことが自然に寄り添うものだった。
ちくちくと時計を縫っていると、そんなふうに自分も縫われてきたのかもしれないと感じる。成長して理解できることがたくさんある。でもそれだからといって納得できない。わたしは、成長したいまではなくて、そのときに理解したかったことがたくさんあるのだ。



散文(批評随筆小説等) ちくちく Copyright はるな 2013-11-22 12:28:44
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