波の下の月
まーつん

 一

 夜の水平線が
 両の腕をさしのべ
 その手で満月を挟み

 嘆く空から引き離し
 海の底に沈めた

 光が闇に溶けて
 波の下に燃えつき

 殺風景な夜空に
 取り残された星々は
 不思議そうな目瞬きを
 パチパチ、繰り返すばかり

 二

 ボートの淵に腰かけ
 冷たい水に足を浸す少年

 日焼けした顔に麦藁帽
 釣竿一つを手荷物に
 夏の海で一日中
 魚相手に丁々発止
 くたびれ果てて
 眠り込み

 目覚めてみれば
 あら不思議

 水面の下に光るのは
 膨れ上がった胎児のように
 膝を抱えて蹲る
 月の見事な禿げ頭

 無数の魚たちが
 その光の上に
 黒い影を泳がせていた

 月の輝きを背にしたら
 鯨でさえも、小さく見えた

 三

 全身浴にうっとりと
 眼を閉じて、月は微笑む

 釣り上げるには
 大きすぎるし
 持ち上げるには
 重すぎる

 空に還るよう
 説得を試みようにも
 少年の声は、小さすぎる

 でも、まあいいか
 これもまた
 美しい眺めだし

 一晩くらい月も
 羽を伸ばした方がいい

 世界中の人々の
 願い事や、問いかけを
 毎晩のように浴びるのは
 どんな星にも荷が重い

 水の底で、また
 気持ちも軽くなって
 ぷかりと浮びあがれば
 見上げる夜空が懐かしく
 ふわふわ帰っていくだろう

 四

 帽子をひょいと
 船底に放ると
 少年は身を躍らせ
 水に飛び込む

 足を搔き、水を蹴りつけ
 痩せた体をしならせて
 月を目指して
 深みへと
 
 すれ違う影の正体は
 光に惹かれ辺りをうろつく
 有象無象の水棲生物

 クジラの巨体を潜り抜け、
 燕尾服のペンギンに挨拶し、

 光るシャチの牙をよけ、
 銀の鱗の小魚を掻き分け、

 読書灯の傘みたいな
 クラゲの間を、

 ぐいぐい
 ぐいぐい
 進んでいく

 やがて息が苦しくなると
 イルカが一頭、寄り添ってきて
 口移しに貰う空気に
 小さな肺が、息を吹き返す

 そうして、ようやっと
 星の背中に伸ばした
 幼い指先がタッチ

 でも月は
 気付いた様子もなく
 身じろぎひとつ返さない

 少年は
 硬い背中にすがりつき
 頬を押し付け目を閉じる
 闇を貫く光の向こう
 月の想いが透けて見えた

 ソーダの泡のように
 色とりどりの花火のように
 パチパチ、パチチパチと
 燃えていた

 この衛星は、きっと
 地球が生まれ落ちた時から
 多くの喜びや 悲しみを
 見届けてきたのだ

 そして
 青い惑星が
 眠りに落ちた後には
 天の河の星々と
 言葉を交わしあってきた

 神と語り合う
 羊飼いのように

 その、
 現在とも
 過去ともつかない
 交流の軌跡が
 響きあう意識の
 こだまとなって
 脳裏に伝わってくる

 岩間を這い降りる
 雨水の音のように
 ブツブツ、コロコロ、と
 不思議にもの静かで
 訥々とした響きだった

 彼らの声は
 時間も空間も超え
 無限の隔たりを跨ぎ越え
 命について語っていた

 どこかの星では
 荒れ狂う雷雲の峡谷を 
 沢山の竜が
 雄と雌とに分かれて
 流れるように踊っていたし

 別の星では
 見渡す大地を
 埋め尽くす花々が
 声を合わせて
 歌っているのだった

 少年は
 しがみつく腕に
 ギュッと力を込める

 ゛
 ねえ、お月さん
 あなたが
 空に帰るとき
 僕も一緒に連れてって

 こんな世界には
 うんざりなんだ
 いがみ合う大人にも
 踏みつけられる子供にも
 だから、僕も連れてってよ
 あなたの帰るところへ
 ゛

 息が尽きかけ
 気が遠くなっても
 月に張り付いたまま
 離れようとしない

 心配する
 イルカの嘴が
 裸の肩を優しく突いた
 それでも離れようとしない
 少年の意識が とうとう
 途切れかけた時

 五

 その時 月は
 輝くバターのように溶けて
 黄金色のライオンに
 姿を変えた

 少年は
 風に波打つ
 光のたてがみに
 顔をうずめて
 蚤のように
 ちっぽけだった

 ライオンは
 首をめぐらせて
 しがみつく少年に
 がおうと吠えた

 突風のような咆哮に
 吹き飛ばされ、
 思わず手を放し、
 声をあげて目を開くと…

 六

 いつの間にか
 静かに揺蕩う波の上
 仰向けに夜空を見上げて
 ぷかぷかと浮いていた

 耳元でささやく
 イルカの声に
 顔をめぐらせると
 それは、安心したように
 水の下に帰っていった

 すぐ傍には
 少年の釣り船が
 静かに揺れながら
 主の帰りを待っていて

 再び夜空に目を戻せば
 海から上った満月が
 彼を静かに見下ろしていた
 
 光る滴をポタポタと
 水平線に落としながら

 いつの間に
 あんな遠くに
 行ったのか

 星だって
 空から堕ちたい
 時もある

 海に飛び込み
 水の流れに
 揉みくちゃにされ
 悩みや憂鬱を洗い流し
 さっぱりした気分を
 風で乾かしたら

 すがりつく
 子供の願いを置き去りに
 空に戻りたい時もある

 それでも
 重いオールを漕いで
 トボトボと家路を辿る
 少年の帰り道を
 
 月は
 最後まで
 照らしていた

 済まなそうな
 顔をして









自由詩 波の下の月 Copyright まーつん 2013-09-27 18:03:19
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