空白地帯
ただのみきや
詩について論じたり
批評したりできる人たちが読むならば
詩とは呼んでもらえないような代物を
三年間で百八十くらい書き投稿してきた
それ以前にも書いてはいたが
誰にも読んでもらう機会がなかったのだ
多いか少ないかは比較の問題なので
自分ではどちらとも思っていない
わたしの詩(一応そう呼ぶ)は
事実と虚構の境目のない真剣な道楽だ
昔 海硝子や夜店のペンダント
壊れた玩具などで世界を変える爆弾を作ろうとしていた
屋根裏に潜んだ少年兵の成れの果て
まっとうな言葉で伝えられない心の細波を
比喩やイメージの投石で誰かの心にも起こしたくて
時には手製のパチンコで狙撃も試みるのだ
詩が真理への道だとは思っていない
だが心に埋れた真理の欠片を映す鏡にはなれるだろう
詩は神ではない(ミューズなんてろくな女じゃない)
むしろ妖怪ではなかろうか
あるいは調合次第で化ける言葉の錬金術かもしれない
失敗したら感動実話すらガスになる
いろんなものを生み出すが何時までも黄金には至らない
詩作は依存をもたらすアブサンの魔力
わたしという詩を見るとそこに港がある
山があり草原があり鳥や虫たちが暮らしている
季節が廻り時は過去現在未来行き来している
街があり人々は泣いたり笑ったりしている
しかしそれは外観だ
まだまだ埋められない空白が中心に広がっている
そこには決して言葉にできないものが生息している
そこにこそ本当に言葉にしたいものが生息している
空白地帯の探索は続いて行く
少しずつそれは狭められて行くものか
詩の一編一編がその外縁境界を千鳥足で歩くように
時に外を見て時に内を観て語るものだ
世界は自らを映す鏡であり逆もまた然り
詩は詩人を映す鏡であり読み手を映す鏡でもある
果たして歪んでいるのは鏡か自分か
いつか禁詩する時が来るのかもしれない