明日の世界にまだぼくはいない。この世界のどこにも ぼくは いない。
創輝

明日の世界に まだぼくはいない
100年後の世界に ぼくの愛する人はまだいない

未来に思いをはせて明日が早くくればいいなんて思ってたころがありました。
過去には確かにぼくがいたっていうのに、ぼくはぼくを捨ててきました。
過ぎ去ったものを省みず
いまだ 訪れぬ世界を夢見ていました。
今日と言う日にすらぼくが存在していない時間があり、ぼくという存在が生まれた瞬間にぼくはその瞬間を忘却のかなたへとおしやったのです。
 この世界のどこにもぼくはいない

足跡は ぼくが歩いてきた道を教えてくれる。
だけど 人が長いこと歩かなかった道は草に覆われていつしか足跡も見えなくなる。
だからぼくらは思い出と言う言葉で時に歩いてきた道に生えた雑草を抜いていかねばならないんだろう。思い出なんて馬鹿らしいけど、それがなければぼくはどこにも帰れない。
どこかにあったはずの分岐点さえ、見つけるすべを失ってしまう。

大切なものは 明日の世界にいまだあるだろうか。
明日という世界に まだ、ぼくはいないけど。

不確かな存在が明日にもあると信じてる能天気さだけは、誰かに褒めてほしい。
ぼくという存在が明日には 過ぎ去っていくものを省みない無礼者として生まれ、去っていく姿を、ぼくは想像してしまう。
想像しているだけでそれが確実なものかなんて知りません、だけどぼくは ぼくらは それを確実なものだと思い込み。
100年なんて先のことも誓ってしまうのです。

「100年後も一緒にいるよ」なんてずるい言葉。
「100年後、ぼくや君が消えてしまっても、ぼくらの愛し合っていたという過去だけは世界に残そう」っていうべきだ。
100年後を信じ、
明日を信じ、

まだみぬ明日にすがる霊長類

いつか ぼくが捨てたぼくに出会う再会する日が来たら
刺されても文句は言いません。
いま、過ぎていくこのぼくも いつか未来のぼくを刺す日が来るかもしれないから。

そんな、不確かな思いやり


自由詩 明日の世界にまだぼくはいない。この世界のどこにも ぼくは いない。 Copyright 創輝 2013-08-02 08:40:15
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