雨の日の猫は眠りたい 2013
たま


葉月の昼下がりのどうしようもなくもてあました窓の
したで、たったいま、わたしにできることをすべて思
い浮かべてみても、ただ、雨の日の猫のように四つ足
を投げだして眠ることしかできなかった。
そうして浅い夢をいくつも、いくつもわたり歩いては、
エノコログサの生いしげる夢の戸口に立ち尽くして濡
れていた。

長い雨だった。
いつまでも犬のまま雨に濡れて生きるのはやめようと
思った。いないはずの恋人、もしくはあり得ないわが
ままをどこまでも、どこまでも、追いかけていたいわ
たしはきっと雨の日の犬にちがいなかった。
もう、いいと思った。
芯まで濡れたこのからだを乾かさなければやさしく老
いることもできない。
だからもう、浅い夢をわたり歩くのはやめようと思っ
た。雨の日の猫のように明るい窓のしたや、乾いた木
の階段の上から二段目あたりで涼しい顔をして、たっ
たひとつでいい、やわらかい猫の手のとどく夢を見て
いたい。
まぁるい顔をした牡猫のようなわたしがいつもの食卓
に頬杖ついてあつい紅茶をすすりながら朝のパイプを
銜えていたとしても妻さえ気付かないはず。
それでいいと思った。

目覚めた午後はほどよく冷えた西瓜をたべる。
汗にまみれたTシャツもブリーフも脱ぎすてて居間の
椅子に腰かけて、真新しいタオルを日やけしたほそい
首にかけて肋骨の浮きでたうすい胸を隠し、すこしで
てきた下腹とちじれた陰毛の影に、だらしなくぶらさ
がった部品の位置を気にしながら張りのないおしりは、
色あせた合成皮革に吸いついている。
午後の日差しはわずかに粗い粒子をともなって白いカ
ーテンをゆらしている。窓の外には大きなケヤキの木
があってその梢の上には乾いた宇宙があった。
この地上にたったひとり分の木陰さえあればわたしは
こうして裸でいたかった。
ときには犬でもなく、猫でもなく、ヒトでもない。
まるで西瓜のような生きものでしかないわたしをたし
かめてみたかった。

階段のしたに眠るちいさな犬をまたいで二階にあがる。
廊下をかねた二畳ほどの板間の小窓から蒼い稲穂の波
打つ海が見えた。ささやかな営みをのせて季節をわた
る箱舟がたどりつく港はまだ遠くても、いま、この海
になにを捨てればいいのだろうか。
洗いざらしの生あたたかい衣服を身につけてちいさな
犬と散歩にでかけた。
日にやけたアスファルトの雑多な小径はいく日も降ら
ない雨を思い出そうとしては遠ざかる意識をつなぎと
めようとしていた。よく手入れされた畑の心地よい表
情や、人の手をはなれた田畑の夏草に埋めつくされた
投げやりな視線のなかをちいさな犬と歩く。
老いることは忙しいか。
ちいさくても犬のかたちをしたおまえは犬のしあわせ
を手に入れたか。
恋はしたか。
もうすぐ、わたしの年齢に追いつくことを知っている
か。

過ぎ去った日々の晴れた日と雨の日をかぞえてみても、
それは昼と夜の等しい数をかぞえるように無意味なこ
とだと思わないか。
季節だけがたしかな暮らしを運んでくる。
晴れた日は犬のように生きて、雨の日は猫のように眠
ればいい。それでも追いつける夢はあるはず。

老いることはどうしようもなく忙しいことだと知って
いても、雨の日の猫は眠りたい。

浅くても、ふかくても、この地上にひとつとして、
無駄な眠りはなかった。














自由詩 雨の日の猫は眠りたい 2013 Copyright たま 2013-08-01 09:57:56
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