先輩との話
yamadahifumi

 大学の先輩が、昔、僕に言っていた事が、ふと思い出される事がある。
 「お前は考え過ぎなんだよ。世の中なんてな、要領よくやりゃあいいんだよ。例えばなあ・・・ほら、あそこに女の子いるだろう。今から、俺が声をかけるからな、見てろ・・・」
 そう言って、先輩は、その女の子に声をかける。・・・その女の子は、ちょっと清楚風のお固い化粧で、日傘なんかを射していた。誰かを待っている様子・・・あるいは、デート相手の彼氏を待っているのかもしれない・・・。
 だが、その三分後には、先輩はその女の子を引っ張って、僕らのいた所まで戻ってくる。・・・先輩はイケメンだし、それに口も達者だった。・・・しかし、それにもましてすごかったのはその度胸だった。ハッタリをかます、その度胸だった。・・・「世間なんて所詮、ハッタリでできているから、いかにハッタリかますかが問題なんだよ」と、先輩は、よく言っていた。
 先輩は女の子を連れて、僕の所に戻ってくる。そして、その第一声。
 「・・・こいつは、俺の後輩のミネギシ君って言うんです。・・さっき、こいつと一緒に歩いていて、あまりにも美しい女性が目に止まったんで、俺はこいつをほっぽり出して、あなたの所まで来て、こうして口説いてしまったというわけなんですよ・・・。・・・おい、ミネギシ、挨拶しろよ。この人は、世界一の美人、この人混みの中でも一番美しく輝いていた令嬢だぞ・・・」
 そう言って、僕はその「令嬢」に挨拶をする。「令嬢」はもちろん、僕なんか気にも留めていないのだが、一応は、軽い挨拶を返してくれる。
 「おい、ミネギシ。この人はなあ、今、彼氏と待ち合わせしていたんだが、俺がどうしても五分だけ時間をください。あなたの一生で、最も輝かしい時間にしてみせますから・・・。と、言ったら、快く応じてくれたんだよ。・・・いや、もちろん、わかっているさ。この人が、そこらの尻軽女とは違う、という事は。ね、そうですよね。(そう言って、先輩は女の方を見てニッコリと微笑んだ。女も微笑む。)・・・俺はな、ミネギシ、この人にこう言ったんだよ。・・・女性っていうのは、誰でも、幸福になる権利がある。・・・それは、絶対にある。そして、女性の幸福はつとに男性にかかっている。だから、女性は男性を選ぶ権利がある・・・。俺はな、一つの当然の疑問を提出したんだよ、ミネギシ。つまり、今、この人が待っている彼氏は、あなたを本当に幸福にできる男でしょうか?本当にそう思えるでしょうか?・・・って、な、あなたほどの人なら、もっと、素敵な人が待っているはずだ。そして、俺こそは、それに値する男なんだって、な・・・。っていうわけで、ミネギシ、俺はこの人とデートしてくるわ。悪いな。もうこの人も・・・その彼氏に、断りのメール送ったって言うからさ・・・。そもそも、その彼氏は今日のデートにすでに三十分も遅刻してるんだぜ・・・ひどい話だろ?・・・。こんな美しく素晴らしい女性を三十分も待たせるなんて、俺には考えられんな・・・。じゃあな、ミネギシ。また、大学で会おうぜ」
 そう言って、先輩はその女の手を取って、この真昼間の都会の中、どこかに消えてしまった。僕は一人取り残されて、ため息をつきながら、思ったものだ・・・。やっぱり、先輩には叶わないな、と。
 

 ・・・僕も大人になって、色々な事が分かるようになった。先輩の事、彼の事を羨ましいと思っていた自分、そして、そういう自分も、先輩もまた、おそらく間違っていた事も・・・・。・・・先輩は、そうやって、ナンパした女と消えた翌日に、僕と大学で会った時、次のような事を言っていた。
 「よう、ミネギシ。昨日は悪かったな。・・・途中で消えちまって。まあ、俺も、一発で釣れるとは思ってなかったんだよ。俺の美貌と喋りがあるにしてもな・・・ハハ・・・。でな、俺とあの女(名前はもう忘れちまったよ。なんでも、どこぞの良い大学のお嬢さんらしい。)が、昨日、どこまでいったか、わかるか?お前。・・・いいか、あのな、俺は昨日のあの女とホテルまでけしこんだんだよ。・・・いや、本当に。あの女、意外に淫乱でな、めちゃくちゃあえいでいたよ。セックスの時にな。・・・で、俺は、あいつに、枕元で、あの女への永遠の愛を誓ってやったんだ。愛してる、とか、めちゃくちゃかわいいとか、君ほど素敵な女はこの世のどこにもいない、とか、できるだけ月並みな、馬鹿な女でもわかるセリフをたんまりと使ってな。・・・で、その手には、例によって、俺が作ったメモを握らせたんだが、そこにはもちろん、俺の偽の名前と偽のメールアドレスが書いてあった。・・・で、俺がこんな事で、罪悪感を感じると思うか?え?・・・お前はどう思うんだ?」
 「感じませんね」
 と、その時の僕は言ったものだ。
 「先輩がそんな事、感じるはずがないですね。むしろ、それを誇りに・・・」
 「さすが、俺の後輩だ」
 と、先輩は満足そうに頷いた。
 「・・・いいか、こんな事で、女を騙した・・・なんて、罪悪感を感じる奴はバカだ。いいか・・・セックスの時には、あの女はあんあんとあえいでいたんだぞ・・・それこそ、満足していたわけだ。あのバカ女は。・・・だからな、嘘をついたとか、そんな事で罪悪感を感じるのは間違いだ。大体が、その時、いい気持ちになりゃあ、人生なんてのは、それでいいんだよ。・・・わかるか。永遠とか真理とか、そんなものを追っている哲学者とか、作家とか、そういう連中を俺が嫌っているのは、そういうわけだ。・・・あの女は、すぐに、俺にだまされた事に気づくだろうが、しかしなあ、それは後に残らない、美しい清い体験だったんだ。・・・俺はあの女を、一人のお姫様として、扱ってやった。俺は、あの女に、美しい夢を見せてやったんだ。・・・もちろん、実際、あの女というのは、無数にいる女の中の一人にすぎない。あの程度の女、腐るほどにいる。それが、真実だ。だが、俺は違った。あの女に夢を見せてやった。嘘という素敵な夢をな。そして、俺が夢を見せてやる代わりに、あの女は俺に股を開いてくれた。・・・だからな、こんな事で、あの女に罪悪感を抱くのは、徹底的に間違っている。むしろ、俺はあの女に感謝してもらってもいいくらいだ。違うかい?」
 ・・・先輩のその雄弁に、その時の若い僕は、心ときめかせた。先輩は行動力があり、モテて、なんでもできるスーパーマンだった。英雄だった。その時の僕には。そう・・・・・・その時の僕にとっては。
 先輩はやがて、大学を卒業すると、その持ち前の行動力と、嘘八百をつく能力をふんだんに使い、ある有名な一流企業に就職した。その企業にうちの大学から就職したのは、先輩が始めてだった。・・・それほどまでに、先輩の能力は・・・もとい、能力のある振りをするという能力が高い人間は、先輩の他には一人もいなかった。
 


 それから十年の歳月が流れた。先輩は、今は三十三歳であり、僕は三十歳になった。十年の時の分、それだけ、年齢を重ねたわけだ。当たり前の事だが。・・・だが、その十年で全ては一変した。たった十年・・・されど、十年、だ。
 僕はそれから、色々あって、ニートをやったり、会社員をやったりした後、フリーターに落ち着いた。それから、二十五から音楽を始めた。その事を誰も咎めも褒めしなかったし、その事を知っている人間は僕意外にはほとんど一人もいないのだが、僕は、それを淡々とやりつづけている。それはまだ形にはなっていない。だが、やがて『形』になるだろう。・・・才能の有無に関わらず。
 先輩の事について、僕は何にも知らなかった。・・・ただ、あの特異な人物の事を、ふと思い出す事はこれまでにもたびたびあった。そして、そんなときにはいつも、先輩は、今もあの調子のまま、上手くやっているに違いない・・・と思うのだった。先輩はきっと、死ぬまであの調子で、朗らかに生き続けるにちがいない。
 その先輩から、昨日、急に電話があった。・・・それは深夜一時の事だった。実は、僕がこの小文で書きたかったのは、そのことなのだ。


 
 携帯が鳴り、それを手に取ると、そこには先輩の名前が映し出されていた。それを見た時、僕はもちろん驚いた。それは、先輩がこんな時間に、僕に電話をかけてきたという事に対する驚きだったのだが、それ以上に、僕が先輩の電話番号をまだ電話帳から削除していなかった、という事に対する驚きだった。・・・僕は困惑しつつ、電話に出た。
 「よう、ミネギシ」
 と、先輩の、昔懐かしのあの明るい、朗らかな声が聞こえてきた。・・・だが、その声は、何かのフィルター越しのように、どこかくぐもって聞こえた。
 「よう。どうだ?調子は?・・・悪いな、こんな夜中に、電話しちまって」
 ・・・僕は、昔の先輩を思い返しつつ、自分の事を、少し話した。自分の今の境遇、自分の今している事・・・・それを話すのに、五分とかからなかった。・・・大体、僕の人生は、三分でダイジェストが効くような代物なのだ。
 「・・・そうか。なるほどな。そんな事になってるとはな・・・」
 そう言って、先輩はほんのすこし沈黙した。・・・まるで、何かを言い出す為の、間合いを計っているような沈黙だった。僕はすぐにピンときて、ああ、嫌な感じがするな、と思った。・・・例えば、そう、十年ぶりにあった友達に急にマルチ商法をすすめられる、その直前の、話の切り出しを待つかのような。
 「・・・ところで、お前、金、もってるか?」
 ほら、来た、と僕は思った。金ですか?・・・と僕は言いつつ、その後に先輩が語り出した話を全部聞いた。・・・それは実にありきたりな話だった。
 同僚の女を妊娠させてしまって、困っている。それと共に、その事が嫁にバレて、嫁は離婚を持ち出してきている。慰謝料を払うとなったらバカにならない、それに、また、それとはちょっとした別件で、お前に、信用のある家柄の友人という役柄を演じてもらう必要があるんだが・・・などという事を先輩は話した。僕はその身の上話を全部、上の空で聞いていた。僕は携帯を耳に当てながら、PC画面を開いて、エロサイトを見たり、TwitterのTLを眺めたりしていた。
 「ほんっとにバカな女共なんだがな」
 と、先輩は言った。
 「あいつら、バカの癖に、人権だの権利だの、弁護士を雇うだの、また、愛の欠如だのなんだのって・・・・本当に笑わせやがるぜ。だが、ほんとに困ってるんだ。・・・頼りになるのはお前だけなんだぜ、なあ、頼むよ。ミネギシ」
 と、先輩は言った。・・・僕は先輩の話の途中から既に、面倒くさいな、という気持ちになっていた。
 「先輩」
 と、僕は言った。
 「僕で何人目なんですか」
 「は?」
 と、先輩。
 「それを頼むのは、僕で何人目なんですか?・・・僕も、見くびられたもんですよ、先輩。・・・僕は先輩のその手口、『お前だけが頼り』っていうそのセリフ、そのセリフの正体をさんざん見せてもらったんですよ?・・・。手品のタネを明かした相手に、その手品をするっていうのは無意味でしょう」
 先輩は急速に黙り込んだ。
 「先輩。先輩は、あまりにも変わらなさすぎているんですよ。きっと。・・・馬鹿にも復讐心はあるし、人権だってあるし。先輩はその事を忘れていたんですよ。全くの所。先輩・・・・・あなたの会社での立ち位置って、どうなんです?・・・まあ、今も同じ会社にいるかどうかわかりませんが。・・・どうせ、最初は威勢よく、仕事ができる奴っていう振る舞いで、誰からも朗らかで好かれたりして、そして女達からも慕われたのかもしれませんが、その内、社内の女に手を出しまくっている事がバレて、会社内での立ち位置が悪くなる。そして、別の会社に行くとかね・・・。先輩、そんな生き方をしているんじゃありませんか?先輩?・・・・でも、先輩、自分のテーゼを思い出してくださいよ。先輩・・・・今が良ければ、それがベストなんでしょう?「今」が、最高なんでしょう?先輩?・・・でも、先輩。先輩は、自分が積み上げてきた『今』に裏切られているんですよ。今、この瞬間にね。そして、それが先輩の『今』なんですよ・・・・・・・」
 先輩はむっつりと黙り込んでいた。・・・先輩は、もう僕に対して言うべき事が何もないみたいだった。・・そして、おそらくは本当に言う事がなかったのだろう。先輩は僕に説教を受けに電話してきたわけではない。・・・はっきり言って、彼は高級な乞食のように、僕に物乞いをしにやってきたのだ。・・・もっとも、人間というのはみんな、大なり小なり乞食にちがいないが。
 「・・・・お前、変わったな」
 と、先輩はぽつりと言った。・・・それは僕が知っていた、『強くて格好いい先輩』とは全然違う先輩だった。
 「・・・お前は強くなったよ。俺と違ってな」
 と、先輩は吐き出すように言った。僕はその時、何故だかーーーーー有頂天のようになっていた。多分、足をもがれたバッタを踏み潰す子供のように、残酷な気持ちだったのだろう。
 「先輩・・・先輩、元気だしてくださいよ。お願いだから・・・・先輩。あの時の、力強くて、格好良い先輩を、もう一度見せてくださいよ。・・・俺達一年坊に・・・・ハハ。先輩・・・先輩なら、まだできますって。例えば。資産家の婆さんに甘い言葉を吐きかけて、一億二億ふんだくるとか。そうだ、ドバイにビルをもっているどこかの国の御曹司の振りでもすればいいんですよ。・・・それで、国に帰れば、自分の金はうなるほどあるけど、今ちょっと、とある事情で無くなっちゃったんだって・・・。どうして、日本語がそんなにうまいんだって?・・・え?・・・それは、二年ほど、学生時代に留学してたからですよ。日本に来るのは二度目なんだ。そう・・・・それで、話が矛盾するようなら、「好きだ」って言って、抱きしめれば、それでいいでしょう?そうじゃないですか?先輩?できるでしょう?」
 「お前がやれよ」
 と、先輩は冷酷な声で言った。
 「僕?・・・僕には無理ですよ。先輩、僕と先輩じゃ、もっている哲学が違う。いや、それ以前に、僕なんかの落ちこぼれじゃあ、そんな大役はできっこない。・・・言ったでしょう?・・・僕は三十にもなって、フリーターですよ。人間のクズ、落ちこぼれです。友達もいなけりゃ、彼女もいない。先輩みたいに、明るく朗らかでもなければ、他人に気の効いた嘘一つつく事ができない馬鹿なんです。そして、馬鹿は馬鹿にふさわしい境遇に落ち込んだ。・・・それが、僕の『今』です。先輩、僕じゃあ、無理なんですよ・・・先輩のような、『選ばれた人間』じゃないと、成功はおぼつかない。先輩・・・もう一度、立ち上がってくださいよ。あの、大学の頃のかっこいい先輩を、もう一度僕らに見せてくださいよ。女なんて、そこら辺に転がってますって。あいつらは、先輩の素敵な嘘に、やっぱり昔と同じように、うっとりとしますよ。そして、そこから、いくらでも金を引き出せばいいじゃないですか?・・・先輩、もう一回、花を咲かせてくださいよ。おねがいしますよ・・・ハハ。もう一回、どこかの企業に就職して、その会社から金かっぱらったっていいじゃないですか?・・・。いや、モテる為の方法論を書いて、馬鹿な十代の童貞のガキどもをだまして、まきあげたっていいじゃないですか?先輩、先輩・・・・・・?」
 ・・・・・・・・・・もう電話は切れていた。・・・僕は気づかずに、回線の向こうの虚空に向かって、一人しゃべり続けていたのだった。・・・僕もまた、回線を絶った。プチッ。
 電話が切れた後、僕は腹が減ったので、冷凍庫から冷凍のチャーハンを取り出し、レンジにかけてあっためた。そして、それがあったまるまでの六分三十秒の間、先輩の事を考えた。先輩はどんどん、明るく朗らかではなくなっていったに違いない・・・この十年で。十年。・・・何もかもがすっかり変わってしまった、と僕は思った。
 そして、僕は夜更けの台所で、一人チャーハンを食べ、冷蔵庫から取り出してきた残りのワインを飲んだ。・・・ワインは渋くなっていて、チャーハンは塩辛すぎた。・・・これが底辺だ、と僕は、ふと声に出してみた。ああ、せめて、夜明けだけでも来ていればなあ・・・そんなとめどない事も、僕は、食いながら、口に出してみた。そして、その言葉の全部が嘘だった。僕は、その事を知っていた。
 先輩・・・・・と、僕は深夜の虚空のなかで、その言葉がこだまするようなイメージで、先輩に向かって呼びかけた。それは、心の声だ。
 「先輩・・・・あなたはやりすぎたんですよ。報いを受けてください。報いを・・・・・」
 しかし、とその後、僕は考えた。・・・何も、報いを受けるのは、先輩に限った事ではない。この罪を背負った全人類、だまされた奴もだました奴も、一様に報いを受けるに違いない・・・・何故だか、僕は、そんな事を考えた。・・・そして、食べ終わった食器と、グラスを流し台に放り込んだ。
 さて、明日のバイトに備えて、もう寝るか。


散文(批評随筆小説等) 先輩との話 Copyright yamadahifumi 2013-07-13 12:40:06
notebook Home 戻る