Kind Of Blue
ヒヤシンス


闇の帝王がその音色を奏でると、聴衆の動きがはたと止まる。
このトランペットの音は全ての世界を超越していたのだ。
そこに新たな魔王が音色を重ねた時、聴衆はもうその場から逃れる事すら困難だ。
夜の幕はひらけた。闇夜を切り裂き、悪魔の祝祭が始まる。

黄色い月の影を果てしなく追うサックスが心の襞に粘りつく。
誰もが今自分は現実の世界にいるのかそれとも黒い夢の只中にいるのか分からずに、
この悪魔たちの音楽に身を委ねていた。委ねるしかなかった。
妖艶な美酒は疲れた魂に優しい。

紛れも無い真実の夜におどけたピエロはいらない。
紛れも無い現実の世界で後戻りなど出来ない。
相手が誰であれ、軟体動物のように体を絡めあい愛撫しながら踊れ。
原色のカメレオンの持つその長い舌で唾液を流しながらこの夜をしゃぶれ。


音楽は続く。悪魔がこの世の魂に潜むすべての悪魔を憐れむその時まで。
吠える黄銅色のトランペットに寄り添いその傷を舐める赤銅色のサックス、それらを包み込むように天空を駆けめぐる流麗な黒いピアノの音色が静かに厳かに集まる者の魂を共鳴させてゆく。
地球を超えて宇宙の底から響いてくる激しくも穏やかなベース音は聴く者の心に一時の安らぎを与える。そうだ。今皆が求めているのは魂の休息なのだ。たとえそれが一時的なものだとしても。


悪魔たちの祭典は終わらない。まだだ!まだ足りない!時を刻むドラムのリズムにその身を委ねろ!この場に一歩でも足を踏み入れたが最後、男も女も全ての者は己の腰を砕きながら聖堂の轟炎に焼かれその灰を自らの頭上へと葬り去るまで夜明けの門は開かない。・・・さあ踊れ!黄色い月の影を揺さぶれ!お前たちを見つめる冷ややかな蒼い眼など抉り取って、向こうで吠えている犬にくれてやれ!

紛れも無い現実を冷静に見つめると、おのずとその本性は見えてくる。
奴の欲望は己の欲望でもあるのだ。欲望の無い人間はすでに死んでいる。
しかし死に欲情して闇雲に突っ走るのと、死を見据えて今を創造する事との違いは歴然としている。
もう一度創造してほしい。悪魔がその魂を憐れむ事をやめてしまう前に。


そろそろ夜が明ける。
いまや、かのトランペットも帝王の冠を脱ぎ去りその音色は穏やかだ。
魔王もすでに魔王ではなく、心を癒す、うす緑の羽を広げる幻鳥となる。
長く続いた音の祭典も終わりを迎えようとして、燃え尽きた白い灰は天高く舞い上がってゆく。新しい朝へ向けて。純白の新しい朝に向けて。

終わりは始まり。
いまだ日の昇らない霧紫色の世界に聴衆一人一人の笑顔が浮かんでいる。


自由詩 Kind Of Blue Copyright ヒヤシンス 2013-06-18 01:29:12
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