燃えないゴミの日
オノ
そもそも釣り合った対等なカップルではなかった。
つけ込んだと言えば聞こえは悪いが、一時の気の迷いに乗じて
ドサクサに紛れて交際関係を勝ち取ったようなものであったので、
私の側にはいつ振られるか分からないという危機感があった。
なので、私は一種のしたたかさを持って彼女と接するようにしていた。
彼女は私が形に残るものをくれないことに時々不満を漏らした。
彼女が私に送るのはキーホルダーや財布や時計や、形に残るもの
ばかりだったが、私は食べ物やイベントや、血肉になるか記憶に
残るだけで、目に見える形を残さないものばかりを贈った。
デートで奢るのは食べられるものだけで、行く先々の記念品などは
欲しければ自分で買えばいいというように言ったし、彼女もそのようにした。
そしてある日、危惧したとおりであるが彼女にふられた。
男を振る時に女は罪悪感を背負わぬために色々と綺麗事を並べる
ものだが、彼女の口から出た理由は、飽きたからという潔いものだった。
そういうところも良いと思った。
私が彼女に形に残るものを贈らなかった理由は、何としても彼女の
記憶の片隅にでも私の存在を残しておくためであった。
贈り物や手紙や記念品のような、本人にまつわる物品を処分するという
手順は、その人にまつわる記憶まで一緒に葬るための儀式に欠かせない
要素だが、自分の血となり肉となったものや、あるいはただの記憶となって
脳にとどまっているものはどう足掻いても自分から切り離すことができない。
逆に、その食べ物、場所や催しに触れるたびにふいにその本人のことを
思い出すはめになるのだ。
それから私は彼女にどう考えても嫌がらせとしか思えない蛮行を、週に一回、
決まって月曜日にはたらいた。燃えないゴミの日だ。
私は彼女のメール宛に、二人で一緒に行った場所の写真を、わざわざその場に
赴いて撮影し、撮りたてほやほやのうちにを送るというようなことを始めた。
これにはなかなかの精神力を要したが週に一回で一年半、実に80回近く
欠かさず実行することができたし、そのことについて彼女は半ばあきれつつも
「本当に気持ち悪い。」と惜しみない称賛の言葉を送ってくれた。
全ての関係はシンメトリに帰結するというのも私の持論だが、気持ちの悪い
写真を80回送った頃に、果たせるかな彼女はかつて私に接近を許したときの
ような状況に追い込まれ、私は久しぶりに彼女との面会を果たすことができた。
出しそびれたゴミ袋の山に囲まれて呆然としていた彼女が、諦めてそれらを
紐解きはじめた日だった。