記憶
壮佑


 トキエは泣いている。薄暗い納戸の奥の、
紅い鏡掛を開いた鏡台の前に座り、泣きなが
ら化粧をしている。「おかあちゃん」幼い私
はトキエに纏わり付いて、その名を呼び続け
ている。戸外から蜜柑畑に行く父の呼び声が
聴こえて来る。町育ちのトキエには馴染めな
い農家の日々と、父への精一杯の抵抗。「お
かあちゃん」私はいつまでも呼び続けた。

 まだ陽射しの強い秋の日に、私はトキエに
連れられて何処かの保養地に向かっていた。
トキエと私は手を繋いで列車に乗り、手を繋
いで畦道を歩いた。見上げると、帽子を被っ
たトキエの顔が、青空を背に私に微笑み掛け
ている。トキエと私は知らない女の人達と一
緒にお風呂に入った。薬湯に濡れた白い肌の
記憶が、仄かな香りと共に漂っている。

 やがてトキエは甲状腺を病み、遠くの町の
赤十字病院に入院した。日曜日に見舞いに行
った姉と私を、トキエは寝台から身を起こし
て迎えてくれた。姉と私はトキエに見守られ
ながら、病院の敷地内の池の畔で遊んだ。静
止した時間の中で、萱の茂みだけが風に揺れ
ている縁のぼやけた記憶。病院の横の橋を渡
ると、貸本屋の小さな暗がりがあった。

 私はトキエを見舞ったことを作文に書き、
全校生徒の前で読み上げた。その時、私は涙
ぐんでしまった。級友達は私をからかい、教
師も私に声を掛けた。講堂の壇上に立ち尽く
した、どうしようもない恥ずかしさの記憶。
しかし寂しさや悲しさの記憶は、今では重い
石の蓋をして草叢に放置された古井戸に沈ん
でしまっているかのようだ。

 月日が経ち、トキエは年季の入った農家の
主婦になった。私は青年になり、大学の夏休
みには帰郷した。青い海が光り、ひっきりな
しに蝉が鳴く島の果樹園に、女子高生達が摘
果作業の手伝いに来ていた。その中の一人が、
蜜柑の樹の枝を這う蛇の子供を見付けて泣き
出した。「ありゃまあ可愛い蛇じゃが」トキ
エは笑い、代わってその樹の摘果をした。

 私はE・T・A・ホフマンの小説の一場面
を思い出した。棕櫚の木の幹を伝い降りる金
緑色の蛇。そしてロマン派の小説や絵画に描
かれている女性に憧れた。しかし、蜜柑畑の
女子高生達には無関心を装い、そうやって格
好を付けている割には、のんびりと小枝に絡
まって遊ぶ目の前の小さな蛇に対しては、た
だ手を拱いているばかりなのだった。

 それから更に永い年月が経った。記憶は霖
雨に煙る遠い島影のようだ。私はいい歳にな
り、先年トキエは八十八歳の生涯を終えた。





※摘果(テキカ)=蜜柑の果実をまだ青く小さいうちに捥いで間引く作業。








自由詩 記憶 Copyright 壮佑 2013-05-23 20:37:20
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