8:20(細長い缶入りのジュース)
はるな

泣いてばかりいる子どもだったんだけど
気づいたら大人の部類になっていて
それでも泣いていたら知らないひとにバカにされたので
思い切って殺しました
それからやっぱりこわくて泣いていたら
大丈夫だよ、わかるよと言われたので
知らないひとだったのでもう一度殺しました
缶入りのウーロン茶を
最近自動販売機では見なくなったけど
(あと、細長いタイプの缶ジュースも)
どうしてだろう?
長年親しくしていた友人に
もう顔もみたくないって言われて
もう顔をみせないようにしようって思った
極力注意深く。生活することで
もしくは顔を捨てるか
簡単なほうを選んで泣いてばかりいる子どもだったんだけど
気づいたらややこしいほうを選んで笑っている子どもになっていた
というのは、
良いことか悪いことかはわからないが
(すきな言葉は「人生万事塞翁が馬」)
シャワーを浴びながら考えていました。
たとえばいつか子どもができて(できないと思うけど)、
子どもがやりまんと言われて泣いていたら、
お母さんもむかしやりまんと言われて泣いたよ、
というべきなのか
ほらほら腕を切るとすっきりするよ、むかしそうしたよ、
というべきなのか
それとも自分ができなかった正しさを教えることができるのか
などと考えていました(シャワーと)が、
自分がしてきたことを正しくなかった、
と、そのまま生きていることは、
重大なねじれじゃないか、
けれども、残念なことに、
わたしはいまだにどうして腕を切ってはいけないのかが
よくわからない。
と思い至り、
わたし自身はねじれていない。
自分自身がねじれているのと
相対するものとはじめからねじれているのと
どちらが悲しいのか考えたがよくわからない。
あらかじめ壊れているものを受け入れることは、
壊れゆくものを愛するよりもずっとやさしい。って思ってたけど
泣く大人は笑われるから
びっくりして逃げてしまう。
生きているのが恥ずかしくて逃げてしまうけど
逃げやすい夢のなかでさえ
必ず起きなければならないよ、と、言われては、
わたしは細長い缶入りのジュースみたいにだんだん消えてゆくものに憧れる。



自由詩 8:20(細長い缶入りのジュース) Copyright はるな 2013-05-19 08:23:09
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