叢の日
ただのみきや

死に逝く間際
人は自らの人生を 遠く
心象風景として眺めると言う

ある者は石くれの丘に広がるぶどう畑を見た
長年の労苦のまだ見ぬ結実を眺望し
その芳香と甘さを味わうかのように
微笑みながら

ある者は広々とした麦畑を見た
風にそよぎ波打つ黄金の海
豊かな実りは満ち足りた心の現れか
その顔までもが照り返しで黄金に染まり

ある者は目を細め夜のオフィス街を眺めていた
事業を起こして数十年
山あり谷あり ついには成功を修めたものの
心残りが 無きにしも非ずか

やっとおれの番が来た
見えたのは 草の生い茂った空き地
まあ予想はしていた
何一つ成し遂げたこともなく
役立たずの怠け者で終えたのだ

だが 
どこか懐かしい風景だ
ああ四歳か五歳のころ
家の近くにあった広い叢か
あのころはジャングルのように感じたものだ
いま思えば官舎か何かを取り壊した跡地だったのだろう
無造作にコンクリート片や煉瓦の塊が転がっていた
忽然と一本の水道管が斜めに立っていて
蛇口からは澄んだ水が流れっぱなしのまま
そこに小さな池ができていて 蝦蟇の穂が
お祭りで見かけるフレンチドックみたいで
初めて蝶々を追いかけた記憶がある
大きすぎる帽子で捕まえて そっと覗くと
不思議なことに蝶々は消えていた
ある日
そこは見渡す限りタンポポの黄色で埋め尽くされ
またある日にはそれがすべて綿帽子に変わっていた
陽炎の揺らめきが不可解で
太陽はいまの何倍も明るかった
蛙たちはいったい何を繰り返し告げていたのだろう
夕闇の訪れを目前にして
そう あの叢だ

ああ
老いてから水彩画を始めた母の拙い絵
麦わら帽子をかぶった子供の後ろ姿
あれは
おれだったのか
だが幼いおれの姿と
死んだあの子が重なってしまう
それとも家を出て行ったもう一人の息子なのか
あどけない微笑み
胸が疼き 熱くこみあげてくる
だが
もう遠すぎる
確かめる術などないのだ 
いのちはすでに粗方没し
意識を鮮やかに燃やしている

そう紛れもなく 
これはおれの人生だ
何時でもここを捜し求めていた
おれは畑にも宅地にも変えたくなかった
ここに何一つ建てたくはなかったのだ
だからこんな生き方しかできなかったのか
たいした稼ぎもなく
むしろ金にならないものばかり
夢中になって追い続け
気がつけば
鏡の男は浦島太郎だ
仕舞い支度をしようにも 何一つ
持って行けるものもなく
残してやれるものもない

だがあの叢の
たんぽぽが
蝦蟇の穂が
つる草が
蛙たちの頌栄が
飛び交う蝶々が
水面を打つトンボが
おれが
幼い息子たちが
太陽と水の煌めきが
記憶の中で再構築され
母親の拙い絵に良く似た
二度と戻らない時間の向こう
おれだけの楽園のようなものを
求め続けていたことに
いまさら後悔のしようなど

線香花火
残り火がぽたりと落ち
暗い灰に変わって行く
刹那の狭間にも似て

遠く薄れ
消えて行く
なす術もなく
    没し
     逝く
      叢の夏が
        いま

          瞑る


自由詩 叢の日 Copyright ただのみきや 2013-05-08 20:41:16
notebook Home