歯の抜けた老婆が電車の中でなにか言った。わからなかった。雨が降っていた。合成革のシートから、湿気が尻にズボンを張り付かせた。切符の行き先を覚えていなかったので、取り出そうとしたらどこにもなかった。見ると扉の外に張り付いていた。行き先は車庫だった。

 ずっと昔になくなってしまった埋立地の前に佇んでいる。生家の記憶は足の下で眠っているだろう。子供の頃使っていた三輪車の記憶も、ブランコの記憶も、同じように眠っているはずだ。液状化が進んで、最終的に土地を少しずつずらして海に沈めていくと、浅瀬の幅はやけに増えて、潮が満ちるたびにあやしくなり始めた。橋の下の鴇が煩さからだんだんと耐えかねて別の場所へ行くように、これらのものどももおそらくは違うところへ行くのだろうが、写真と比べてみるとなんてことはなくて、はじめからなにもなかったのだから陸地になろうと海になろうと変わりは感じられないのだけど、それでも家々の甍の痕跡が見え隠れするような不穏さを忍ばせて海はある。何人かの人が水平線をぼんやり見てから去っていくのが、背中越しからでも感じられた。ぼくの足元に寝転がる蜻蛉には目線を合わせることもなく、港の気配のするほうへ向かっていく。おそらく、港では、売笑婦の声が交わされ始めて、欠伸交じりの嬌声が響こうとするだろう。体臭のきつい男の掌が、少女の頭を撫でるのと同じように、乳房の両端を抓り上げるだろう。ちょうど夜がゆっくり腰を上げ始めた塩梅だ。ぼくは座り込んで、待つことにした、尻に当たる、ぬかるんだ土が不快ではあるけれど。蜻蛉はまだ生きていて、少しばかり痙攣している。羽が割れているから、足をばたつかせてもがいている。ぼくは座り込んで待っている。その蠢きが止むのを、なのかもしれない。蜻蛉を眺めていると寝ているともだちみたいだと思う。一人だけ起きて朝に帰ろうとすると、昨日話したことなんかぜんぶ忘れているような顔で、眠りこけている。その蠢きが止むのは、きまって彼ら彼女らが起きて、時計に顔を向けて、ぼーっとするときだった。蜻蛉も時計を持っているのだろうか。それはたぶん彼の割った羽だったのだろう。彼はきっと永遠に蠢き続けるだろう。ぼくは座り込んで待っていた。港から遠く、船の汽笛が聞こえて、道路を走る車の音と、こどものはしゃぐ音、車輪の回るのと会話の音、飛行機の音、靴の地面に擦れたり当たったりする音、鳥の音、虫の音、草の音、橋の風と共鳴する音、そして凪ぐ水辺の無音、それらがぼくらを取り巻き、ぼくらはそれに取り巻かれる。あまつさえ夜ともなれば。打ち砕かれるサイレン、メガホンから発せられる救難信号、海鳥の介護、うつろ舟の微笑、ドブ川のほとりでぼくは待ち続ける。次第に忘れていく約束、少年院のチャイム、部屋の隅で蜜月を重ねるこどもの数と音、フォークに突き刺さる天使の数、格子の向こうの太陽、晩飯の一枚のハム、取り置かれた箸、それだけを握り締めてぼくは待ち続ける。ドロップダイアモンド、カテドラル、弦が一本だけになったギター、チェンバロを弾きながら牛乳を飲むあの子、喉元まで達した青色の星、それらを引き連れることを忘れて。そうしたらもうすぐ黒い大人の顔が見えなくなる。それよりも大きな大人のおでましだ。雑談する銃器、裁判官のハンカチ、交差したビル、それがやつらを殺していく。反復して膨張して縮んだと思ったらまた横に広がって縦になりたがる心の作用、彼が残していった夢診断の本、こぼしたコーヒーの模様、それがやつらを殺し続けていく。墨汁を溶かしたようにやがて。

灯は寄り合うように点り出している。電車の光がぼくの背中を過ぎる。蜻蛉の影が伸びてぼくに届くと、時間は急に激しくなる。


散文(批評随筆小説等) Copyright  2013-04-23 00:58:32
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