言葉ちゃんについて
はるな
文字や言葉にいつのまにか課せられている枷をはずしてあげると、詩になる。
生きるということの意味を考え、だんだんと自由になってゆくと、それが死であることとは、ちょっと似ているかもしれない。
言葉はとてもいいですね。
意味を持っています。
意味を表すための言葉と、それが成長していった言葉と、ありますけどどちらもいいですね。そんなふうに言葉は社会のなかでもわたしのなかでもそれぞれべつべつに育ってしまうので、ときどきその着ぶくれした言葉を少しずつ脱がせてゆきます。
洋服よりも野菜や果物の皮のほうがちかいかもしれない。脱がせていったものたちも言葉自身なので。
そうすると、言葉はとても自由です。自由で無敵で、でもかならず意味を持っています。なんと言ったらいいだろう?もし言葉が、完全に自由で奔放なだけのものだったら、それはもう言葉じゃないから。
限定されることで、はじめて物事は永遠を知ります。
永遠は一瞬にしか宿らない。永遠と一瞬が触れるとき、すべてはすべてです。自分の体を抱くことができます。背筋が凍るほどの見晴らしを手に入れられるかも。
言葉はとてもいいですね。
わたしはわたしの枷を外すことができません。それは、わたしにもともと意味がないからなのかな、と思うときがある。言葉には意味があります。だから、どんどん、脱がせてゆくことができる。光るお米みたい。
きっとそのうちには、とても、とてもいいところに行けると思う。
でも、みんな、どこかへ行ってしまう。
それが悲しくて、泣いていると、言葉がぶよぶよと太っていってしまった。
でも、そういう言葉は、わたしだけに優しく、怠惰で、それもやっぱりいいなと思います。