うつくしみの うつつ
木屋 亞万

「草枕旅ゆく君を愛(うつく)しみ副(たぐ)ひてぞ来し志賀(しか)の浜辺を」(万葉集 巻四566)

或る女は旅に連れ添い
まだ若い馬にまたがりシカの浜辺へ
青々としたうつくしみの心でもって
背の低い草を枕に地の音を聞く
波音に混ざる寝息のやさしい気流
うす曇りに乱反射する光を浴びて
出立のたびに足元から白く染め直す



「我が夫汝(せな)を筑紫へ遣りて愛(うつく)しみ帯は解かなな奇(あや)にかも寝も」(万葉集 巻二〇 4422)

或る女は家を守って
脂の出る柱をぼんやり見つめては
口元をきゅっと結びなおし
秒針の硬い音を聞かない努力をする
寝心地の悪い衣服に身を押し込めれば
心も引き締まる気がして
まさぐられてもいない手への嫌悪感と
たゆまない愛の忠誠に包まれ眠る



「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり)(新古今集 羇旅)(伊勢物語九)

或る女はウツという途方もない山辺で
ゆううつにうつつを抜かし
入れ子状の夢の戸を開けては迷う
真夜中の森林を掻き分けて
人間すらいないところで
運命のたった一人を追い求める
川に腕をつけて打つ手を洗い出しては
少しでも清い夢へと体を浸す


自由詩 うつくしみの うつつ Copyright 木屋 亞万 2013-04-13 17:55:44
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